明日はポール・マッカートニー67歳の誕生日です。あの『ヤア!ヤア!ヤア!』のポールが67歳だなんて信じられないおもいですけど、長い長い年月が経ってしまいました。
でも、ポールはいまもなお健在、皺はふえましたが、あの愛くるしい顔も、鋭いシャウトも、失われていません。
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1975年、1980年・・・過去の二度の来日中止で、もうポールの日本公演はないだろう、といわれていたなかでの、あの初来日の頃の感動を、想い出します。
1990年、、、
ビートルズ・クラブが「ポール・マッカートニーの来日嘆願書」の署名運動を呼びかけたときは、積極的に参加し、当時つとめていた本屋さんの店頭で、本気で署名集めもしました。
これでポールが日本に来れるなら、いくらでも署名を集めてやる、というやぶれかぶれの思いで、署名用紙を何枚も何枚もコピーして、署名がまとまると、ビートルズ・クラブへ送りました。
47歳(当時)という年齢を思えば、その後ポールがもう一度ワールド・ツアーをできるかどうかわからない(と、あの頃、ファンはそうおもった)、だから、この機会を逃したら、二度とポールのライヴを自分の目で見ることはできないだろう、と必死でした。
映画『ヤア!ヤア!ヤア!』を撮った監督、リチャード・レスターも同じ思いで、ビートルズのメンバーによる最後になるかもしれないコンサートをフィルムに残したい、という動機から、彼はポールの要請に応じて、映画『ゲット・バック』の監督を承諾したといいます。
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ポール、初来日のコピーは、「やっと会えたね」。
本当に、日本のファンは、待ちに待って、1990年ついにポール・マッカートニーのライヴを体験することができました。
それからまた20年。でも、うれしいことに、ポールはいまもすごく元気です。
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●来日中止をわびる、1975年、1980年のポール・マッカートニー・インタビューをつないで編集した映像。
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●そして、こちらは1990年ツアーのアンコール「ゴールデン・スランバーズ〜キャリ・ザ・ウェイト」(映画『ゲット・バック』より)。
このときのぼくは、ビートルズを知ってからのいろいろなことを想い出し、ただ呆然と聴きほれて、バカみたいに泣いていました。