かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

溝口健二監督『浪華悲歌』(1936年)


『浪華悲歌』と書いて、「なにわエレジー」と読むようです。久々に溝口健二監督の傑作を見ました。得意な素材に取り組んだ時の溝口健二は、やっぱりすごい。こんな傑作をどうして今まで見逃していたのか・・・。



会社のお金を横領した父を助けるため、自分の会社の社長の愛人になってお金を工面した女性が、徐々に転落していく様が描かれる。しかし、そういう一つの典型を、溝口監督は類型的な視点で描いていない。


可憐で清廉な一面と、男をだますような、したたかなもう一面を、山田五十鈴がみごとに演じきる。どちらも、同じ女性の2つの顔なのだ。


山田五十鈴の、けだるくたばこを吸う姿がいい。



会社の金を横領した父のために、また兄の学資をつくるために、詐欺まがいのことをしてお金を工面するアヤ子(山田五十鈴)に、父も兄も感謝するどころか、自分たちが原因であることを忘れて、冷たい。家の恥さらしだとおもっている。アヤ子への同情や理解は、まるでない。


溝口健二の描く女性は、身を落としてもどこかひた向きな誠実さがあるが、登場する男性は、みんな拝金主義者であり、金でひとをあやつるエゴイストばかり。この溝口健二の男女の格差は、いつものとおりだ。



リアリズムに徹した演出。女優の非凡な演技。


それにくわえて、この映画では、関西弁が人物描写にぴったりはまって、貢献していました。