かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

シルヴァー・ウィークの日記

■9月19日(土)


極貧荘から、午前8時46分のバスで赤羽の立呑み「いこい」へ。仕事で時間がなくても、ここへはなんとか時間をつくって足を運んでいる。映画よりも散歩よりも、選ぶのはお酒なのだろうか(笑)。


9時10分に着く。焼酎ハイボールを3杯ほど飲んでいると、isizakaさん、来る。会うのは久しぶりだ。近況報告をしながら、二人で1時間くらい飲む。


isizakaさんと別れ、川越へ1週間ぶりの帰宅。少し休んでシャワーを浴び、午後2時頃、家人の運転で熊谷へ向かう。仕事明けで、クルマのなかで寝る。


午後4時、熊谷へ到着。すでに弟は来ていた。


4時半より弟夫妻、従兄弟(いとこ)の不動産屋futosi君と、熊谷の家のことで相談。


「鈴なり」のママさんが、年齢的に体力が続かなくなり、お店を閉店してしまったので、futosi君に、店のあとの借り手を探してくれるように依頼してある。


母屋ごと貸してもらえるか、という問い合わせもあるので、futosi君からそれを打診される。一応、お店の部分だけで、それで借り手がないときは、母屋ごと貸すことも検討する、、、ということですぐ話が決まる。



居酒屋へ弟夫妻、うちの夫妻、で移動。一度事務所へ戻ったfutosi君もあとから来る。茗荷谷へ勤めているわたしの娘も、あとから会社を終えてきた。


futosi君とは、ウイングス来日(1980年)のとき、整理券をウドにもらいにいった青山で、偶然会ってびっくりしたことがある。従兄弟(いとこ)が、ウイングスやビートルズが好きだったとは知らず、それから、少し親しみがわくようになった。年齢はわたしより10歳若い。ウイングスからビートルズへ遡る・・・の世代だ。


「そのときは小さかったから、●●さん(わたしの名前)の家に遊びにいったとき、ステレオの上に『サー・ジェント・ペパーズ』のジャケットが立てかけてあって、なんだろう、ておもったけど、あとになって、あれはビートルズのレコードだったんだなあ、と鮮明な記憶になっているんです」とfutosi君は懐かしそうにいった。


futosi君とは整理券の番号が近いので、ウイングス公演のチケット受け取りのときも、新宿西口の列に並んでまた行き会った。しかし、周知のように、結局ウイングスの来日は、中止になってしまう。


9時頃まで飲んで散会。その日は、家人、娘と熊谷の家へ泊まった。






■9月20日(日)


朝、家人、娘と、わたしの両親の墓へいき、花を添える。わたしは薄情というか、不信仰で、いつも家人からいわれるまで、自分で進んで墓参りすることがない。今日も、家人が花を用意して、3人で墓をたずねた。


墓参りのあと、行田の水城公園が、ホテイアオイが見ごろだというので、寄る。




●水城公園のホテイアオイ




そのまま吹上の荒川の土手へコスモスを見にいったが、こちらはまだマバラにしか咲いてなかった。



午前10時、yumiちゃん来る。


yumiちゃん、家人、わたしと3人で、最近飯能市にできた温泉へ向かう。


むかし、わたしは、yumiちゃんを通して家人と知り合っている。偶然だが、yumiちゃんが家人をわたしに紹介するような形になった。


yumiちゃんは、家人にとっては、中学校以来の古い友人だが、わたしにとっては、大学のときの同級生で、一時期、yumiちゃんとは、一緒の同人雑誌にいたこともある。


そのyumiちゃんが、いま家族とは別居して、ひとりで暮している。といっても、新しい住まいは家族の家のすぐそばで、子どもたちは、自由に出入りしているし、朝散歩で夫と会うと、「おはよう!」と挨拶を交わす関係だ、というから、なんだかよくわからない(笑)。


ともかく、本人は「別居は楽しいよ」と薦めてくれるので、こっちも、「平日は月曜日から金曜日までアパートのひとり暮しだから、事実上の別居だよ」といったら、「あっ、そうかあ」と、なっとくしていた。


宮沢湖を見下ろす山の上にできた温泉は、温泉に浸かりながら、湖の光景を眺められる。特別な絶景というわけではなくても、遠い山の温泉地にきたような、ちょっとした旅行気分に簡単にひたれるのがよかった。



夜は、川越へ戻り、3人で鍋を食べ、わたしひとり、お酒を飲む。yumiちゃんは、NHKの「天地人」を見てから、家人が川越駅まで送り、中板橋の<新居>へ帰った。