かぶとむし日記

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小出裕章著『騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実』


騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実

騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実

私の提案はただひとつです。「自己責任を果たそう」ということです。このような汚染を引き起こしてしまった責任に応じて、汚染を引き受けるしかないと思うのです。


みなさんは、まだどこかに汚染されていない食べ物があると、考えたいのかもしれません。しかし、もう、日本中の大地が汚染されてしまいました。コメも野菜もお茶も、みんな汚れて汚染の度合いが違うだけで、すべての食べ物が多かれ少なかれ汚れているのです。


この話をすると、いつも多くの方々から非人道的だと非難されます。しかし、私は、この汚染された食べ物は、大人たちが責任に応じて食べるしかないと主張しています。そうしなければ、まったく責任のない子どもたちに、汚染の少ない食べ物を与えることができないからです。


私は「責任に応じて」といいました。みなさんは「自分たちに責任はあるのか?」と思うでしょう。確かにほとんど国民は、政府の「原子力は安全だ」というウソに騙されただけかもしれません。


しかし「騙されたのだから、責任はない」ということにしてしまえば、また同じように騙されてしまいます。それでは意味がありません。ですから、二度と騙されないために「騙された人には、騙された責任がある」と考えて欲しいのです。


以上は、「まえがき」からの引用です。


福島のあれだけの原発事故が起こっても、野田内閣はしらっと「原発の収束宣言」をし、大飯原発の再稼動を敢行しました。


野田原発再稼動・大増税内閣は、福島第一原発の事故収束よりも、ずっと早く終息しそうですが、しかし、それをよろこんでいられません。


長い間原発を推進してきた自民党へ、再び政権がもどるのなら、いまは、じっとおとなしく機会をうかがっている原子力推進派も、いずれまた力を盛り返してくる気がします。


総裁選でも、あまり脱原発は争点になっていないようですね。国民の総意は90%が「原発ゼロ」を望んでも、推進派への配慮からか、できるだけうやむやにして、「中長期的には、脱原発」と、あいまいな言い方しか、聞えてきません。


原発ゼロになると、電気代が2倍になる、と脅しをかけていますが、本当でしょうか。


原発を建てるための交付金原子力推進学者への研究費のバラマキ、被害者への莫大な補償、除染や廃炉などの費用を足しても、原子力は、ほんとうにコストが安いのでしょうか。


そのウソも、本書は、説明しています(→P148参照)

現実の社会の動きの中で「脱原発は不可能じゃないか」という人もいますが、それは政治と経済界が賢くなればいいだけの話です。あまりにも愚かです。


少なくとも力供給に関していうなら、原発はまったく必要ないと私はすでにデータをつけて示しています。それは、政府も経済界も知っているはずです。


断言しますが、今すぐ原発をすべて廃炉にしても、電力的には生活水準は落ちません。あとは、これまで発電所の周辺で補助を頼り生活をしてきた人たち、雇用をそれなりに供給されてきた人たち、それらの人たちをどうやって守っていくか、ということが残ります。しかし、それ以外には、ほとんど困ることはありません。電気代も安くなります。


みなさんどう思っているのでしょう。一度事故を起こしたら、日本全土が潰れてしまうような被害が今、目の前で進行しているのです。


それなのにまだ、原子力という怪物は必要なのでしょうか? ほかの発電方法もあるのです。


黒澤明監督は、『生きものの記録』(1955年)で、核実験の恐怖に怯え、孤立無援の叫びをあげる主人公の姿を描きましたが、いま「脱原発」の思いを持つひとは、少数ではありません。国民の90%のひとが、「原発ゼロ」の未来を望んでいます。


あとは、それをしっかり政党や候補者の選択に反映させなければ、福島の事故がムダになってしまいます。


本書が厳しく問うように、もう「騙された」のいいわけは、通用しません。