このころ、米ソの対立が激化して核戦争の勃発が現実味をおびていた。
黒澤明監督は、1955年に核戦争の恐怖から発狂していく男を描いた『生きものの記録』を撮っている。
1954年に創られた『ゴジラ』第1作も、娯楽作でありながら、奥には、放射能への畏れがこめられていたことを、のちに主演の宝田明が語っている。
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The Last War (1961) - Japanese Theatrical Trailer (Reconstruction)
松林宗恵(まつばやし・しゅうえ)監督、フランキー堺主演の『世界大戦争』も、娯楽作でありながら、米ソ対立から起こりうる核戦争を描いている。
この映画が子供のわたしにも、強い記憶に残っているのは、世界はほんとうに核戦争で全滅してしまうかもしれない、と何かで読んで知っていたからか。
映画は、フランキー堺家族の目線で描かれている。この幸せな一家が、本人たちにはなんの問題も責任もないのに、世界や東京とともに死んでいくのだ。
その怖さが、わたしにも、「死の恐怖」として迫ってきた。
フランキー堺は「私は貝になりたい」(1959年。前年ドラマの映画化)という映画で名演技をみせていた。
平凡な明るい床屋さんが兵隊にとられ、捕虜を上官の命令で刺殺した。
捕虜を杭にしばって、新兵が突撃・刺殺する、これは初年兵が肝をすえるために、頻繁に行われていたことだった。
しかし、そのことが戦後「東京裁判」で問題になり、C級戦犯としてとらえられる。釈放か実刑か恩赦か、いろいろ状況はかわっていくが、結局は死刑になっていく男の話で、心を抉られる傑作だった。
「もう人間には二度と生まれてきたくない。生まれ変わるなら、深い海の底の貝になりたい」という、死刑台へ昇る男のモノローグが、タイトルになっている。
そのフランキー堺が、『世界大戦争』では、平和な家庭をもちながら、結局は核戦争でいっしゅんにして壊滅していく一家の主人を演じている。
東宝が力を結集した映画で、出演者がすごい。
フランキー堺、宝田明、星由里子、乙羽信子、白川由美、笠智衆、東野英治郎、山村聡、上原謙、中村伸郎、中北千枝子など。
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映画から話はそれるけれど、若き日のボブ・ディランは、地球に放射能が降り注ぐイメージを、「 A Hard Rain's a-Gonna Fall (はげしい雨が降る)」で、歌にしている(1963年発表『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収録)。
「A Hard Rain's a-Gonna Fall」
それで なにがきこえたの、青い目のむすこ?
それで なにがきこえたの、わたしのかわいい坊や?
雷の音がきこえた、それは警告を発していた
波のうなりをきいた それは全世界をおぼれさせる
百人のタイコたたきをきいた 彼らの手はもえていた
千人のささやきをきいたが だれもきこうとしていなかった
ひとりが飢え死ぬのをきいた 多くのひとがわらうのをきいた
どぶで死んだ詩人の歌をきいた
路地裏でさけぶ道化師の音をきいた
それで ひどい ひどい ひどい ひどい
ひどい雨が降りそうなんだ
ボブ・ディラン全詩302篇―LYRICS 1962‐1985
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昨年、ひさしぶりに『世界大戦争』をDVDで見た。
そのころ政府は、北朝鮮がミサイルを飛ばすかもしれない、といって恐怖を煽り、国民に、建物があれば中に避難し、野外であれば身を伏せるよう警告を発した。
しかし、これっていつの戦争の話だろうか
建物の中? 地面に身を伏せる?
ひどい雷のときの避難方法みたいだ(笑)。
原子力発電所をねらえば、日本はほぼ全滅ではないだろうか。
どうあがいても、核戦争がはじまってしまえばあとは壊滅しかない、と、この娯楽大作『世界大戦争』は、あらためて教えてくれた。