10月13日、火曜日。曇り。
国立映画アーカイブでひらかれている映画『羅生門』展へいくため、上野駅中央改札で11時、弟と待ちあわせる。
東武東上線がポイント故障で遅れているため、改札で聞いたら、JRで振替輸送やっているので、そちらで行ったほうが早い、と教えてもらう。ちょうどいい快速があったので、わりと順調に、赤羽経由で、上野へ出た。
上野、10時40分到着。
熊谷から来る弟は、時間より早く来る性格なので上野へ到着したことを知らせると、先に着いていた。午前10時ころ着いたので、アメ横で1杯だけホッピーを飲んできた、という(笑)。
上野から銀座線で京橋駅下車。
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黒澤明の映画ではじめて見たのは、『野良犬』。
真夏のバスのなかで刑事(三船敏郎)は、身につけていたピストルを盗まれる。しかも、そのピストルと同型の銃弾で殺人が起こる。
刑事(三船)がしつように犯人を追う姿を描いていくが、映画のなかに真夏の暑さがこれでもかこれでもかと映される。シャツは汗で肌に張り付き、首筋を流れる汗をひっきりなしに刑事は手拭いで拭く。
そもそも最初にタイトルが出てくると、アップになった野良犬が、地面に腹這いになり、長い舌を出して「ハア、ハア、ハア、ハア」荒い息をしている場面からはじまる。こんな強烈な季節感をもった映画を見たことがなかったので、わたしには衝撃だった。
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平安時代の話だ。
貴族の若い夫婦が森の中を通ると、獰猛な山賊がふたりを襲う。夫は木に縛りつけられ、妻は暴行を受ける。
暴行のあと、山賊は夫を殺して逃亡する。
まもなく山賊が逮捕された。
この事件を裁判するため、役人(検非違使=けびいし)は、逮捕した山賊と暴行を受けた女を呼び、それぞれに起こった出来事を証言させる。
ところが、ふたりの話がくいちがう。
役人は、さらに巫女の口を借りて、死んだ夫を呼び寄せ、事件について聞くが、これもまた話の内容がふたりとちがう。
三人三様に、ひとつのはずの「真相」がちがって語られる。真実は、なんなのか?
虚栄心や自尊心の強い人間は、結局客観性をもった「真実」を語れないのか、という、短編小説。
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これを黒澤明が映画化した。
タイトルは「藪の中」から「羅生門」に変更された(芥川龍之介には「羅生門」という短編もある。映画の頭と最後に相次ぐ戦乱で崩れかけた「羅生門」が映るけれど、内容的には「藪の中」が原作)。
映画には、原作にない杣売り(そまうり。焚き火の販売業者と「ウキペディア」にあり)の証言が追加されている。彼は森のなかを歩いていて事件を目撃した。
杣売りは、参考人としてよばれ、自分の見た「事件」を証言する。
しかし、杣売りの証言も、三人の話とはちがっていた。
俳優は、山賊が三船敏郎、貴族の夫が森雅之、その妻を京マチ子、杣売りは志村喬。
同じ場面がなんども出てくるので、映画を見たひとは何がなんだかわからない、という映画評もあって、日本ではそれほど評判にならなかった。それが日本より先に、外国で高い評価を受けた。
同じ出来事を複数の登場人物の視点から描く手法は、本作により映画の物語手法の1つとなり、国内外の映画で何度も用いられた。海外では羅生門効果などの学術用語も成立した。撮影担当の宮川一夫による、サイレント映画の美しさを意識した視覚的な映像表現が特徴的で、光と影の強いコントラストによる映像美、太陽に直接カメラを向けるという当時タブーだった手法など、斬新な撮影テクニックでモノクロ映像の美しさを引き出している。
第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞し、これまで国際的にほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめることになった。また、本作の受賞は日本映画産業が国際市場に進出する契機となった。
(「ウキペディア」の 、映画『羅生門』の解説より)
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常設展には、無声映画時代からトーキーの時代に活躍した俳優、監督、カメラマンなどが紹介されている。ゆっくりと映画の歴史をたのしむ。
わたしが作品になじみのある監督は、溝口健二、清水宏、小津安二郎、成瀬巳喜男あたりからか。それ以前は、監督ではなく俳優で映画を見ていた。
常設展がおわると、『羅生門』の特集。
ひとつの映像画面を4分割し、それぞれの証言の食い違いを、その場で比較して見ることができる。
この映画への評価の高さを、海外のさまざまな紹介のなかにも見ることができた。
脚本は、数々の名作を残した橋本忍と、監督の黒澤明。撮影は、溝口健二の『雨月物語』で、美しい白黒の映像を撮った宮川一夫。
『羅生門』でも、白黒映像の美しさを存分に見せてくれた。
出口を出てから、しばらく椅子にすわって、黒澤明の映画が好きな弟と、はじめて『羅生門』を見たときの印象などを話す。
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銀座線で上野へもどり、立飲み「たきおか」で飲む。だいぶ酔っ払って、次に串揚げ屋へ移動したが、わたしはほとんど記憶してない。あとで鞄から出てきた領収書でわかった(笑)。
上野からいっしょにJR高崎線にのり、大宮で弟と別れたらしい。
わたしは大宮から埼京線で川越へ帰るコース。まともに帰れば30分くらい。ところが、妻が川越駅へクルマで迎えにきたときは、大宮から電話があってから3時間近く経っていたというから、どこでどうしていたのだろう。同じ電車のコースを行ったり来たりしていたのかもしれない。
幸いに、わたしも、荷物も無事だった。翌日弟に電話すると、無事に帰ったが何時に家に着いたか記憶がない、といっていた(笑)。