かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

成瀬巳喜男監督『妻の心』(1956年)



★★★


【あらすじ】
信二・喜代子(小林圭樹・高峰秀子)の経営する老舗の薬屋は、経営がおもわしくない。信二は、敷地に軽食のとれる喫茶店をつくろうと相談している。喜代子も乗り気だった。


そこへ、家を出て、東京でサラリーマンをやっていたはずの長男の善一(千秋実)が、会社をやめ、妻子を連れてもどってきた。これから商売をしたいので、30万円貸してほしい、という。


母も介入し、兄弟、その嫁たちをめぐって、成瀬巳喜男でおなじみの確執が展開する……成瀬巳喜男作品では、おなじみの物語だ。


★★★


喜代子が夫と、借金して喫茶店をはじめようとすると、家を出た兄が、一家三人で戻ってくるわ、おまけに30万円貸してくれや、で、じつにもうタイミングが悪い。


しかも、姑から「わたしからもお願いします」と懇願されれば、嫁としては「いやです」とはいえない。頼むは夫の毅然とした態度だが、気の弱い夫は現実から逃げて、いつのまにか酒場などへ逃げてしまう。


姑、夫、夫の兄家族などのあいだで、心を揺らす喜代子を、高峰秀子が的確に演じています。それが、もううまいのですね。セリフは少ないのに、心の動きがよくわかります。


それから、この一家の住む、旧家のセットのすばらしさ。『女の座』などでもしばしば感じることですけど、家のなかを、廊下を、人物が歩くのですが、その家のしっかり出来ていること。成瀬巳喜男は、廊下を歩く人物の動きを、カメラで追っていきますから、部分的なセットではまにあわない、とは以前中古智(美術監督)のインタビューで読んだことがありますが。


むかしの日本にはあった硝子戸がずらっと並んでいて、長い廊下がL字型にのびていて、その右手には庭が廊下に沿っている、そんな旧家を人物があたりまえのように歩いていく。その重厚さがさりげなくすごい。


それから、家の前の路地を着物の高峰秀子が歩くシーンが繰り返される。ほとんど同じ道を同じ高峰秀子が歩くだけなのに、そのときどきで、高峰秀子が置かれた状況が異なっている。それが何の説明もなく、ただ高峰秀子が路地を歩くシーンを映すだけで、観客に心のなかを伝える。説明がないのだから、観客の解釈は自由。それが成瀬巳喜男を見る醍醐味かもしれません。


★★★


『妻の心』には、三船敏郎が<生活の苦労から離れた存在>として、杉葉子の兄役で登場します。


成瀬巳喜男は、ドラマの中心で<お金>をめぐる確執を描いているとき、その枠外で、そこから自由に離れた、望ましい生活のあることを、『稲妻』でも描いていました。このときの兄妹役は、根上淳香川京子でした。


ringoさんもこちらで、

三船敏郎は、どんな役割なのかしら? 興味を惹かれました。成瀬監督の世界に合うのかなぁ? 観ていると、少し存在が大きく重く映りましたが、これは、三船敏郎自身の持っている存在感の大きさでしょうね。もう少し、押さえた感じの色の薄い俳優さんのほうが、私自身、よりしっくりしたような気がしています。


と、書かれていますけど、もはや黒澤明の顔となっている三船敏郎の兄役は、存在が重いですね。たとえば『稲妻』の根上淳のような俳優の方が、ふさわしいような気がしました。この記事の最初にアップした写真も、高峰秀子三船敏郎が主演の映画のような錯覚を与えかねません。


それはともかく、この映画の高峰秀子三船敏郎の微妙な関係は、ドラマとしてうまいなあ、とおもいます。見る人それぞれに、二人の心の<本心>を想像して楽しむことができます。


三船敏郎があのとき何をいいかけたのか、それすら成瀬巳喜男は答えを証しません。それがいかにも成瀬巳喜男ですね。


映画を見たら、なんでもきっちり解決しないと気持ちがすっきりしない、というひとには、成瀬巳喜男作品は、向きません(笑)。