かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

映画『名も無い日』〜小説『麦本三歩の好きなもの』〜鶴ヶ島の「Izakaya たくと」(6月12日)。

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日付が少し前へもどります。




6月12日(土)、晴れ。


朝、「イオンシネマ板橋」へ、日比遊一監督『名も無い日』を見にいく。見にいった動機は、永瀬正敏オダギリジョーの共演。


おもしろい組み合わせだとおもったのだが、、、







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この映画、陰々滅々、暗くてなかへはいっていけなかった。暗い作品は嫌いではないけれど、作りての感性がもっと乾いていないと見ていられない。


永瀬正敏は、はじめからずっと仏頂面だし、オダギリジョーはこころの闇に被われて、お風呂のなかで泣いているし。かんべんして!


松岡錠司監督『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2007年。泣かせ映画で嫌い)でも、オダギリジョーが泣いていた。


オダギリジョーが泣く映画は、どうも好きになれない。




あっ、それから2019年11月18日に亡くなられた木内みどりさんが出演していた。


木内みどりさんは、「れいわ新選組のイベントを、なんども司会で支えていた。山本太郎代表のよき理解者だった、とおもう。


山本太郎代表は、木内みどりさんが亡くなったとき、追悼文を寄せている。

木内みどりさん。早すぎる。寂しいじゃないですか! 世の中が変わっていく姿を見てほしかった。一銭の得にもならない、本業を考えればリスクでしかない。そのような活動にも積極的に関わってくださった。自由を愛する本物の表現者。感謝しかありません。





お昼を食べて、アパートで少し昼寝。


起きてから、読みかけの小説『麦本三歩の好きなもの(二)』を読了。「(一)」に続いて間をおかずに読んだ。おもしろい。


読むきっかけは、よんばばさんのブログ「なぜこうも愛おしい『麦本三歩の好きなもの 第二集』住野よる著」




よんばばさんの記事。

「常識人ぶってる方がやべー奴なのだ」主人公の三歩、図書館勤務25歳女性、の心の中のつぶやきだ。だいたい私はこんな言葉遣いをする女性は嫌いだ。そしてこれに限らず、本書はこのような軽いノリの今どきの表現に満ちている。そういう文章を書く作家が好きではない。


・・・のはずなのに、ちょっと違えば途中で脱落したかもしれないような作品なのに、なぜか楽しく読み終え、そのうえ主人公の三歩が愛おしくてならないのだ。いつもおどおどしてしゃべれば嚙みまくり、動けばコケているような主人公が、うるさくなるどころか愛すべきキャラクターに感じさせてしまうのは、物語を紡ぐ著者の絶妙な匙加減だろう。




(「あとは野となれ山となれ」)
https://hikikomoriobaba.hatenadiary.com/entry/2021/05/18/091025


麦本三歩は、よんばばさんのご紹介のとおり、ちょっとドジで、怒られキャラで、じつは、みんなから愛されている女の子。


先輩たちは、「三歩‥‥三歩」と彼女の失敗を話題にするけれど、それはいじめとは逆で、彼女のことを話すのが、みんなたのしくて癒されるから。


そんな女の子がマンガならともかく小説の主人公になるのか、というと、これがなるのだ(笑)。


住野よる(作者)のポップな文体が、生き生きと三歩の日常をとらえていく。


わたしは、けっこうこういう文体を書く作家が好きみたいだ(笑)。




「(一)」の書き出しを引用して、この項おわり。


麦本三歩という人間がいる。


三歩のことを知らない人に、彼女がどういった人物であるか、例えば周囲の人々が説明するならこんな風に言うだろう。ぼうっとしている、食べすぎ、おっちょこちょい、間抜け。


当の三歩はと言えば、それら周囲の評判に全く納得がいっていない。もう少し言い方を変えてほしい。



自分は、物事に集中するタイプで、ご飯を美味しく感じられて、ささいな失敗をしがちで、まあ、間抜けに関しては変換をちょっと思いつかないけれども、つまりは周りが悪い方にばかり物事を表現しているのだと、三歩は主張する。




(行間を開けたのは、わたしで、原文はただの段落)



どこか夏目漱石吾輩は猫であるを思わせるような麦本三歩の堂々たる登場ぶり(笑)。なんどもニンマリしながら読んだ。


よんばばさん、ありがとうございます。







週に一度、退院した姉の世話にいっている妻と、鶴ヶ島駅午後4時に待ち合わせる。「Izakayaたくと」の開店時間。


ひと電車遅れて妻が来た。


喉がいち早くビールを欲していて、居酒屋へ向かう足が、知らず知らず早くなる。


遅れがちになる妻から、「おい待て。そんなに焦るな」といわれた。