Netflixは契約しても、ほとんど見てなくて、『舞妓さんちのまかないさん』も、よんばばさんのブログを読むまでは知らずにいた。
よんばばさんの紹介文を拝見したら、おもしろそうだし、総合監督は是枝裕和さんだし、これはさっそく見てみようと前のめりにーー。
全9話。見始めたら、おもしろいので、次々見てしまった。
祇園の舞妓さんになることを夢見て、親友のすみれと共に故郷の青森を離れ、京都へやってきたキヨ。
舞妓さんたちが共同で生活する屋形に住み込み、鼓や舞などの稽古に励んでいたキヨだが、舞妓には向いていないから青森に帰るように、と言われてしまう。
気落ちするキヨだが、ある日、みんなのために作った親子丼が評判に。毎日のごはんを用意する「まかないさん」として、屋形で働くことになる。
一方、すみれは京舞の才能を発揮し、「100年に一人の逸材」として、由緒ある祇園の花街で名を馳せていく。
(公式サイトより)
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花街や芸姑の世界を描いた監督として、溝口健二や成瀬巳喜男が思い浮かぶ。どちらも名監督ですばらしい作品を残している。
でも、描かれているのは、欲望や競争が支配するこの世界の厳しさ、であったり、男たちのおもちゃにすぎない芸姑の哀しさ、であったりする。
例えば、、、
成瀬巳喜男監督の『流れる』(原作:幸田文)も、花街を描いていた。
元売れっ子の芸者・つた奴(山田五十鈴)は、溜めたお金で、独立した芸者屋をもつ。
しかし、長年この世界に生きて、踊りも三味線も一流のつた奴だが、経営は素人。喉から手が出るほど支援者がほしいのに、パトロンの申し出があっても断ってしまう(男のねらいはわかっているので)。
そうしたつた奴の潔癖さがしばしばあだになり、店の経営はいきづまっていく。
ろくに三味線も弾けない若い芸姑たちは、人情よりは打算。うまい話があれば、平気でそっちへ流れていく。そういう要領のよさがつた奴にはない。
最後、熱心に三味線の稽古をしているつた奴の姿を映しながら、まもなく彼女が、この店を人手に渡さなければならないことを暗示して、映画『流れる』は終わる。
わたしが知っている花街や芸姑の物語は、この手のものがほとんどだった。
ところが、『舞妓さんちのまかないさん』は、まるでちがう。
意地悪なひとが出てこない。
おかあさんもおねえさんも、優しい。
若い芸姑たちは、中学生の合宿みたいにワイワイ騒いで、仲がいい。
舞妓に失格して、まかないさんになったキヨを軽視するひともいない。キヨの料理がうまいので、みんな感激している。
キヨは、仲よしのすみれが、舞妓さんの夢の実現に向かっていくのがうれしいし、自分ごとのように誇らしい。
こんなにすべて順調で、物語が成立するの?
そもそも是枝裕和監督の作品には、ドラマにつきものの「対立・葛藤」がない。悪人らしい悪人も出てこない。
主役のキヨを演じた森七菜(もり・なな)。すみれを演じた出口夏希(でぐち・なつき)。よんばばさんも絶賛しているけれど、ほんとにふたりが役にぴったり。
料理の食材をリュックいっぱいに積んで買い物をしているキヨの生活感あるたくましさ。すみれの、まだ舞妓の蕾なのに、男を惹きつける清純な色気。
脇役の俳優陣も、いい。
ねえさん格の百子(ももこ)の凛とした美しさを橋本愛が、ややガサツだが気っぷのいい吉乃を、松岡茉優が演じている。
この松岡茉優がよかった。最初、少しやりすぎでは、とおもっていたが、だんだん回がすすむと、こっちがなじんできた。
この花街に出入りする男たちに、井浦新、古館寛治。このひとたちは過剰な演技をしない。他の作品を見ているときも、いい役者だなあ、とおもっていた。
バーテンダーのリリー・フランキーは、是枝作品の常連のひとりだ。どういう役柄も、そつなくこなす。
若い芸姑のひとりに、福地桃子が出ていたぞ。最初わかんなかった。
井樫彩(いがし・あや)監督の『あの娘は知らない』で、両親を事故で亡くした旅館の若女将(わかおかみ)を演じていた。海辺の町を、自転車に乗って走る姿に惹かれた。
『舞妓さんちのまかないさん』では、とぼけた二枚目半の芸姑を演じて、先の映画とは別な一面を見た。
脇役のひとりひとりまで丁寧に描くのが是枝作品の魅力だと、あらためておもう。
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よんばばさんが、このドラマのすばらしさを紹介しています。
hikikomoriobaba.hatenadiary.com