榛名湖の湖畔。
5月28日(土)。快晴。
川越から妻の運転で熊谷へ。熊谷で弟夫婦を乗せ、弟の運転で伊香保へ向かう。
最初の目的地は、「榛名湖」。音楽は、先日、遠出用につくったコーラス中心のビートルズのプレイリスト。
途中「水沢観世音」を見て、近くで「水沢うどん」で昼食。
榛名湖へ一直線に向かう車窓からの眺めがよかった。
ぼけているけど、フロントガラス越しの風景。
榛名湖湖畔。向こうに見えるのが榛名山。
榛名湖の周辺をぶらぶら歩いてから、ロープウェイで榛名山の山頂近くへ。
若い弟たちは、石段の先にある榛名神社へ歩いていったが、わたしたちはロープウェイから降りたところにある東屋のようなところで休憩。
日陰は風があって、心地いい。榛名山からの眺めもいい。
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伊香保温泉の「木暮」というホテルに着く。ここで1泊。
夕飯に飲んで、あとは部屋へもどって、自動販売機からビールや酎ハイを買って飲む。
朝、山本太郎代表が「日曜討論」(午前9時〜10時)に出演することがわかったので、時間ぎりぎりまで部屋のテレビで見る。他の3人は精算をすませて、ロビーで待っていた。
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赤城山に志賀直哉の石碑があるので、見にいく。夜、長々と部屋飲みしていたので、赤城山までの道中、わたしは30分くらい寝た。
赤城山は、榛名湖に比べると、混んでいた。
こう写真で見ると榛名湖も赤城山の大沼も変わらないな。時間が経てば、どっちの写真かわからなくなりそう。
志賀直哉の石碑の場所がわからなかったので(大沼周辺の看板の案内図に出ていない)、アイスクリームを食べて、そこのお店のひとに聞く。
赤城神社の近くだ、と教えてくれた。
赤城神社までクルマで半周したが、クルマを停める空きがない。
弟が「おれはクルマで待っているから行ってきて」というので、言葉に甘える。
さっちゃん(弟妻)と妻は、赤城神社の参拝に、わたしは志賀直哉の石碑を探しに歩く。石碑は、神社の近くにあった。
以前、息子と娘が小学生だったころ、家族4人で石碑の前で撮った写真がある。それ以来だ。石碑には「直哉」と直筆のサインが刻まれている。
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志賀直哉は、1915(大正4年)の新婚時代に、猪谷六合雄氏(小説では、Kさん)に丸太小屋をつくってもらい、妻・康子(さだこ)と4ヶ月ほど赤城山中に住んでいる。
志賀直哉の父・直温(なおはる)は、康子(彼女が再婚だったことも反対理由のひとつ)との結婚に反対だった。
自分のことで義父と夫(直哉)が対立し、争うことに、康子は心を痛めて、神経衰弱になっていた。
赤城の生活は、静かな環境で康子の心を癒すのが目的だったが、ここから芥川龍之介曰く、墨絵のような小説「焚火」が生まれている。
石碑に刻まれている文は、「焚火」の最後の部分。
舟に乗った。蕨取り(わらびとり)の焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を廻って、神社の森の方へ静かに滑って行った。梟(ふくろう)の声が段々遠くなった。
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帰り、弟の要望で赤城の蕎麦屋さん「桑風庵(そうふうあん)」へ寄る。人気のある店で玄関から長い列ができていた。
わたしは並ぶのがきらいなので、クルマにもどって本を読んでいることにする。
40分ほどして、妻から「番が来たからおいで」という電話がある。
わたしたちの後にも、ますます長い列ができていた。
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赤城山から弟夫婦が住む熊谷まで、下道を走って帰った。
道中ずっと小さな音で音楽をかけていたが、さっちゃんと妻のおしゃべりがやんだので、音量を少しあげた。
ヴァン・ヘーレンの「ユー・リアリー・ゴット・ミー」が聴こえてくる。
弟が「イギリスのバンド?」と聞くので、
「いや、アメリカ。曲はキンクスのカバーだけど、ギターの音が新鮮だろ。ギターは、エディ・ヴァン・ヘーレンというんだけど、少し前に亡くなってしまった」
そんな話をしながら熊谷までの40キロを下道で帰る。
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2015年のライブ。ギタリストのエディは、2020年65歳で亡くなってしまった。
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