2ケ月に1度くらい、熊谷で弟(54歳)夫妻と会って、居酒屋で飲む。特に用らしい用もなく、たいていは世間話だが、たまに映画や音楽や本の話をする。
先日のこと。
「兄貴は、むかしね、志賀直哉の小説では、『清兵衛と瓢箪』や『小僧の神様』より、『真鶴』が好きだ、っていってたけど、いまはどう?」
「『真鶴』は好きだなあ。いまだって同じだよ。例えばね、『清兵衛と瓢箪』や『小僧の神様』は、芥川(龍之介)でも書けるかもしれない、でも『真鶴』は書けない。芥川だけじゃなく、誰にも書けない、とおもう」
そこで、弟の奥さんが何か別な話題をはさんできたので、その話は途切れてしまった。
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志賀直哉の「真鶴」は、10代の頃から何十回と読み返している。いつか、わたしのなかで、短編小説の理想になっていた。
「よそいきの言葉で表現する<詩>が、ほとんど理解できないんだけどね。普段着の言葉で書かかれた『真鶴』のような小説は、何度読んでも感心するんだ。『真鶴』から受ける感動は、小説というより、おれには、ほとんど詩なんだよね」
そういうことを、弟に伝えたかったけど、話が一度切れると、話題がそこへ戻らなかった。