クラプトンが同会場で1990年1〜2月に敢行した18回のライブは、4人編成からホーンセクション入りの13人編成、オーケストラとの共演など、さまざまな趣向を凝らした記念碑的なものとなった。さらに翌91年2〜3月には、アルバート・コリンズやバディ・ガイをゲストに招いたブルース・ナイト、マイケル・ケイメン指揮のロイヤル・フィルハーモニー・オーケストラを配した夜など、24回の連続公演を成功させた。
(「映画.com」から)
今年、日本武道館で生のエリック・クラプトン・ライブを見たばかり。力強いヴォーカルと泣きのブルース・ギターは、衰えてなかった。
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わたしは1974年の初来日を見ているが、酒浸りのコンサートだった。
掠れる声、いまほど力強さを感じられないギター……でも、わたしは、そういうエリック・クラプトンが好きだった。
そして、音楽だけでなく、クラプトンの生き様がブルースだとおもっていた。
曲と曲の間合いに紙コップでお酒を飲み、タバコに火をつける。演奏がはじまると、ネックの弦に、タバコをはさんだままでギターを弾く。ギターの先っちょからタバコの煙がゆらゆら立ちのぼる…。
それがブルースであり、ロックだった。
しかし、そんな不健康は長く続かない。1980年代にはいるとアルコール依存症が重症化してくる。
当時の様子をエリック・クラプトンは「自伝」のなかで、こんなふうに書いている。「ウィキペディア」から孫引きすると、、、
僕の人生の最悪の瞬間に、自殺しなかった唯一の理由は、死んだらもう飲むことができないだろうと知っていたということだった。それは僕が生きる価値があると思った唯一のことだった、そして人々が僕をアルコールから遠ざけようとしているという考えはひどいものだった。なぜなら僕は飲んで飲んで飲んで、そして彼らは実際に僕を診療所に連れて行かなければならなかった。
(翻訳、ちょっとへんじゃない?)
エリック・クラプトンは、施設に入所し、アルコール依存症の治療に専念。しかし、快癒して退所したかとおもうとまた入所……。
1980年代のクラプトンは、依存症と回復のあいだを行ったり来たりと揺れていた。
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そして、1990年代、「お酒を飲まないエリック・クラプトン」が誕生する。
「いつぶっ倒れるかわからないところがかっこいい」、とおもっていた阿呆なファン(=わたしです)は、健全になりすぎたクラプトンを、少し眩しく感じたが(笑)、再生した彼が、声もギターも力強くなっているのを認めないわけにはいかなかった。
1990年代の代表的なコンサートのひとつが、今回劇場で初公開される『エリック・クラプトン アクロス24ナイツ』。
音源も映像も見たものが多いような気もするけれど(未公開もあるようですが)、映画館のライブは、会場の最前列で見ているような迫力があるので大好き。
2023年の日本武道館コンサートのあと、30年タイム・スリップして1990年代初期のエリックに会えるのだから、うれしい。
6月9日公開。6月11日を予約した。
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予告編は曲がブツ切れなので、1曲完全なのを…。www.youtube.com
よかったら、もう1曲クリーム時代の代表曲を…。
www.youtube.com