我孫子駅西口にある写真。後列中央左から武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉。
6月21日㈬、曇り。
「上野駅公園口」で、Tさんと待ち合わせ。いつも時間より早く来るひとなので、わたしも早めにいったら、もう来ていた。
今回は、我孫子の「白樺文学館」で、「白樺派と我孫子」というテーマの展示をやっているので、見にいくことに。
上野から我孫子までは、常磐線の快速で35分くらい。予想以上に早く着いた。
我孫子駅から「白樺文学館」まで、不整脈のわたしの足で20分くらい。話しながらだと、もっと短く感じられた。
最近になって、いままで手にいれにくかった里見弴の小説が、文庫になって2冊発売された。
「『彼岸花』/『秋日和』」(中公文庫)……小津安二郎関係をテーマに編集されたもの。
『君と私ーー志賀直哉をめぐる作品集』(中公文庫)……タイトルの通りだが、ほんとにうれしい企画。
『君と私』(以前のタイトルは、『君と私と』。最後の「と」が省かれたようだ)。
雑誌『白樺』をはじめる前の志賀直哉と里見弴の関係、白樺仲間との交流などが描かれている。
若き日の里見弴。
これをTさんもわたしも読んでいた。
つまりはTさんとわたしの間で、白樺派の作品について話題になることが多く、今回の我孫子「白樺文学館」の訪問もそういう機運がもとにあった。
駅から15分ほどゆるい坂を下っていくと、前方に手賀沼の風景が見えてくる。
どん突きから、左へ曲がり、細い道へはいっていく。この道が田舎道で、歩くのが気持ちいい。
5〜6分で、「白樺文学館」へ着く。
文学館は、入口の受付にひとりと、パソコンで何か打っているひとの二人がいて、このとき見学人はわたしたちだけだった。
1階の本棚には、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦など関連本が並んでいる。
2階が、展示室になっている。志賀直哉が描いた油絵の「生物画」。筆で書いた漢詩の書などがある。
ところで、志賀直哉は、署名するとき、「哉」の字の最後のタスキを書かなかった。こんな具合だ。
文字の形として「うるさい」からだという、むちゃくちゃな理由だが、いかにも志賀直哉らしい(笑)。
従って「志賀直哉全集」(岩波書店)の、背表紙に滝井孝作が書いた「志賀直哉」の文字も、それにならって「哉」のタスキを省いている。
題字、滝井孝作。
滝井は、志賀直哉の作品に魅せられて近づきになったが、志賀が「ぼくは弟子のようなものはとらないことにしているから」といわれて、形は「友人」になった。
滝井は志賀直哉を敬愛していたが、「先生」ではなく「志賀さん」と呼んだ。志賀が「先生」と呼ばれるのを好まなかったから…。
この「伝統」は、尾崎一雄、小林秀雄、小林多喜二、藤枝静男あたりまでは続くが、末弟のひとり阿川弘之は「先生」と呼んでいる。
年齢差からも、さすがに阿川弘之は、「志賀さん」とは呼びにくかったろう。志賀もそこまでうるさくは、こだわらなかった。阿川より若いひとたちは、ごく自然に「先生」と呼んでいる。
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志賀直哉の葬儀の写真が数枚展示されていた。
葬儀は、1971年(昭和46年)10月26日。場所:青山斎場。志賀直哉の意思により無宗教で行われている。
花輪もお焼香もなし。壇上の志賀直哉の写真の前に、参列者は、それぞれ花一輪を供えた。
弔辞は、70年の長い交流があった里見弴がつとめた。
ここで突然式に予定してないことが起こった。
86歳の高齢で参加はムリだとおもっていた武者小路実篤がやってきて、その場で一言いわしてほしい、と申し出た。
「武者小路実篤記念館」のTwitterからご紹介すると、、、
(略)
86歳の武者小路実篤は、祭壇の友に長く切々と語りかけたと言います。その様子について川端康成は「まことに立派で、宗教の域に到るやう」(「志賀直哉」『新潮』昭和46年12月号)と述べています。
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実篤の弔辞は原稿の用意はなく、その場で心に浮かぶ思いを述べたもので、書いたものは残っていません。ご遺族やその場にいらした方に何度も確かめましたが、会場の録音も不鮮明で聞き取れないとのこと。ただその場に列席した方々の耳と心に残るのみです。
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86歳だった実篤は、その頃ほとんど外出しなくなっていたことから、志賀の葬儀には出ないものと思われていました。そのため、葬儀次第に実篤の名はなく、弔辞は里見弴のみとなっています。里見は彼らしい情感のこもった弔辞を書き残しています。
里見弴、阿川弘之などが葬儀委員をつとめている。列席者に川端康成の姿も見える。
雑誌『白樺』を共に立ち上げた里見弴や武者小路実篤の、志賀との紆余曲折の70年をおもうとき、ふたりの胸中が想いやられる。
列席を予定してなかった武者小路実篤は、手には何も持たず、マイクの前に立っている。そこで武者小路は、何を語ったのか……その言葉が残っていないのが残念だ。
マイクの前に厳しい顔で立っている武者小路の写真に、この日、わたしはいちばん感動した。
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手賀沼までもどり、そこのわきに立っている文化施設のなかでコーヒーを飲みながら雑談する。Tさんも、武者小路実篤の姿に感銘を受けたという。
若き日、無手勝流で、既成の文壇と闘った武者小路実篤86歳の凛々しい晩年の姿だった。
手賀沼へ戻り、ベンチにすわって、沼の風景を眺める。
手賀沼の風景。