かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

我孫子の「志賀直哉展」を見にいく(10月4日)


志賀直哉展」のチラシ(表)。志賀直哉がだっこしているのは、白樺文学館に本展の遺品を寄贈した山田裕氏。





10月4日、日曜日。曇り。


千葉県我孫子市「白樺文学館」へ、志賀直哉展」を見にいく。


浦和南IC」で高速に乗り→外環道→常磐道→柏IC下りる→一般道で、所要時間およそ1時間40分くらい。



手賀沼の駐車場へクルマを置き、6、7分歩くと「白樺文学館」へ着く。







今回の志賀直哉展」は、志賀直哉の五女・山田田鶴子さんが所蔵していた志賀直哉に関連する絵・彫刻・家族写真などを、田鶴子さんの子供・山田裕氏(志賀直哉の孫)が「白樺文学館」へ寄贈した遺品の展示。




志賀直哉展」のチラシ、裏面。




それほど広い文学館ではないので、ゆっくり書かれているひとつひとつの説明など読みながら30〜40分見てまわる。





チラシの説明に、「志賀直哉 油彩画(1945) 世田谷新町時代 62歳の作品」とある。






志賀直哉邸宅跡は、昭和55年(1980年)に我孫子市が買収し、母屋はありませんが当時の庭木を残し、移築された茶室風書斎が一般公開されています。志賀直哉が生涯はじめて自家を持ったのは我孫子の弁天山で、天神山に住んでいた「白樺」同人の柳宗悦から我孫子の売り家を勧められたのを直哉が即決し、25,6坪の茅葺の家に3部屋増築して我孫子住いが始まりました。大正4年(1915年)9月のことです。のちに崖の上と邸内に書斎を作りました。直哉は、ここで「城の崎にて」「和解」「小僧の神様」「暗夜行路(後半の途中まで)」を執筆しました。




(千葉県の観光物産サイト「まるごとeサイト」)
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/2960


我孫子は、壮年時代の志賀直哉が代表作を発表した重要な地。中編小説『和解』や美しい短編小説「雪の日」などには、我孫子での生活が描かれている。


書きあぐんだ長編『暗夜行路』は、尾道で書きはじめ、この我孫子で書き継がれ、長い休筆のあと、最後は奈良で完成させている。


いちじき、我孫子は白樺村のようになった。


はじめは柳宗悦民芸運動創始者美術評論家が住み、志賀直哉を呼び寄せる。胸に黒いカゲがあると診断された武者小路実篤も、療養をかねて、自然も空気も美しい我孫子へ越してくる(のちに、結核の疑いは晴れる)。


志賀の短編「雪の日」には、柳宗悦の家のカマドで陶器を焼くバーナード・リーチも出てくる。


我孫子の彼らは若かった。既成の文学(文壇)や美術におさまらない新しい芸術や思想の創造をめざしていた。


志賀直哉は、◯◯主義的な活動に消極的だったが、武者小路実篤は、貧しい人でも食うことを心配せず、自分の個性(思想、文学、絵など)を磨ける自由な村を作ろうと決意する。


武者小路は、宮崎で「新しき村」をスタートさせるが、それは我孫子の家を処分して、ここからはじめて各地で演説して、同感する仲間を集めながら、宮崎へ向かう。


我孫子の風土がそういう気持ちを醸成させたとはいえなくも(武者小路は、十代から理想村の構想をもっていた)、武者小路実篤の「新しき村」の創立を最終的に決断させた土地でもある。


そうした若々しい熱情に燃えた白樺のひとたちの芸術運動を記念して、我孫子に白樺文学館がつくられた。


志賀直哉旧居跡は、白樺文学館の向かいにあって、小さな公園になっている。奈良の旧居のような家全体はないけど、書斎だけが残されている。





我孫子に住んでいたころの志賀直哉





志賀直哉、書斎の説明看板。




志賀直哉書斎。






書斎は、ふだんは閉まっている。土・日の午前10時から午後2時までなかをひらいているというので、今回はその時間にあわせてきた。はじめて、書斎のなかを見た。





書斎のなか。




白樺文学館から手賀沼へもどる。




白樺文学館と手賀沼をつないでいる小道も風情がある。




しばらくベンチで、午後の手賀沼の風景を眺める。




手賀沼の風景(1)




手賀沼の風景(2)





これまで電車でくることが多くて、それはそれでたのしく、我孫子駅で昼からやっている居酒屋へ寄ったり、松戸駅で途中下車して飲んだり、晩秋には北小金本土寺の紅葉を見たり、行き帰りの道草もたのしかった。たいていひとりだったから好きに行動できた。


しかし、今回はクルマで、妻同行。高速が嫌いな妻は運転したがらないので、行きも帰りもわたしが運転した。


我孫子から一直線に常磐道の柏ICへ向かう道路を走っていると、妻が「ほら、見て!」というので、右を見ると、空き地のようなところに、れいわ新選組の立て看板のポスターが、目立つように立っていた。


山本太郎代表と、千葉で、れいわ新選組から衆議院選に立候補する太田かずみさんの写真があった。