「戦争やめろ!」
いまもこのシンプルな呼びかけをやらなければならないなんて、なんてなさけないことか。
むかし、わたしの知人が、「もう大きな戦争は起こらないよ」といったとき、「ほんとならいいのに」とおもいながら、でも「人間」ってそんなに賢明な生きものだろうか? そういう疑問が消えなかった。
以前にもこのブログで、スウィフトの『ガリバー旅行記』の第4編について書いたことがある。それと内容が重なるが、やっぱりいま、この寓話を思い出してしまう。
ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』は、第1編「小人の国」と第2編「巨人の国」が有名だけれど、原作は第4編まである。
その第4編「フウイヌム国渡航記(馬の国)」では、心優しい馬たちは、同種族で殺し合う獰猛な生物としてヤフー(人間)を忌み嫌っている。
ガリバーは、この国に漂流して助けられるが、国の市民誰もができれば1日も早く追放したい、とおもっている。恐ろしいヤフーが、平和の国「フウイヌム」に禍(わざわい)をもたらすだろうから‥‥。
ガリバーはさまざまな国を漂流して、自分たちヤフーがどれほど恐ろしい生きものであるか、身に染みて体験してきた。馬たちが下す「ヤフーはもっとも恐ろしい生物」という評価をくつがえすことができない。
嫌われながらも、扱いの優しい馬たちに、ガリバーは心を寄せ、「どうぞ、わたしをフウイヌム国の市民にしてほしい」と懇願するが、裁判の結果、「追放!」となってしまう。
この国の方針である「ヤフーを市民にはできない」という鉄則をガリバーのために破ることはできない、という。
ガリバーはやがて漂流してヤフーの国へもどるが、人間が近づくと(たとえ妻であっても)、怯えて身体を丸め、後退り、絶望的な声をあげる。
馬小屋へはいると、安心して眠った。
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スウィフトの文学を夏目漱石は高く評価したが、もっとも厭世的な作家でもある、といっている。こうすれば、よくなる‥‥そういう解決手段をあきらめている。人間は奪い合い、殺し合う。救いがない。漱石は、スウィフトを、人類に絶望している作家だと書いている(「文学評論」)。
スウィフトが『ガリバー旅行記』を書いたのは、18世紀。くやしいけど、21世紀になっても、彼が絶望的に描いた寓話が克服されていない。
tumariwananikaさんのショート動画を拡散します(1分)。
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