12月23日㈯。
妻の姉さんが心臓の病で、亡くなった。
いつその時がくるかわからないというので、昼間、わたしは娘とふたりで、池袋の病院へ義姉さんを見舞った。会話はできない状態だったが、娘が話しかけると、時々小さな反応を見せた。
顔にチューブを巻かれている。口はひらっきぱなしで、呼吸が少し荒い。
口の中が乾燥するので、連絡すると、看護師さんが、棒のようなものに薬をつけて、口のなかに塗ってくれた。
1時間ほどいて、娘とわたしは病院を出た。途中で、遅い昼食をとって、池袋駅で別れた。
妻は朝からずっと病院に詰めていたが、夜になって「9時●●分に、亡くなりました」という、ふだんより少しあらたまった声で、わたしのアパートに連絡があった。
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12月19日には、学生時代からの旧い知人ONUKIが亡くなった。ずっと交流が途絶えていたが、あるとき、わたしから、選挙の応援を頼むため連絡をした。
ONUKIから、協力したいが、病気が重くて、動けない。まもなく手術を受けるが、生存率は低いようだ、いろいろ迷惑かけたね、と返信メールがきた。
手術は一応成功して、その後日常生活にもどったようだが、完治したわけではなく、今度再発したら助からないみたいです、という連絡が妻にあった。連絡が妻にあったのは、借金の申し込みを兼ねていたからで、わたしに直では言いにくかったのだろう。妻は、事後報告でそれをわたしに伝えた。
1年くらい連絡が途絶えていたが、妻に、再入院することになりました。不義理をしたままで申し訳ない、という連絡があった。妻は「気にしなくていい。病気に専念して」と返事した。
妻はその後も病状の経過を気にしていたが、12月19日----、
ONUKIさんは、本日8時58分に苦しむことなく旅立たれました。生前は、大変お世話になりましてありがとうございました。代理でお知らせします。FUJITA
というメールが妻にはいった。
わたしとは、メールのやりとりは何度かあったが、20年くらい実際には顔をあわせていない。葬儀がいつなのかとか、そういう問い合わせもしないまま、事実を受けとめた。
以上は、【個人的な備忘録】。
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「FREE FREE GAZA!!」「ガザ虐殺やめろ!!」。
12月24日(日)。クリスマス・イブ。
今年は戦争のことが遠い世界の出来事ではない、ということを痛感させられた1年でした。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ攻撃----いったいいつになったら、人類は平和を手にいれるのだろう?
そして、日本は、イスラエルを支援するアメリカの属国として、現状を容認している。
さらには、アメリカの言い値で、武器を爆買い、今後日本でも武器を開発して、海外へ輸出するのだという。よろこぶのは、一部の大企業だけ。彼らは、またそれで大儲けするだろう。
クリスマス・イブなのに、不景気な話ばかりですいません。
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イスラエルのガザ攻撃はやまない(テレ東BIZの映像から)。0.52秒。
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ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「Happy Christmas(War is Over)」は、52年前(1971年)に発表された作品。和訳の一節一節を見ながら聴いてください。ジョンとヨーコや、わたしたちの願いはそれから一歩も実現に向かって進んでいない。まるで今年のことを歌ったようにも聴こえます。
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