4月6日㈬、晴れ。
池袋の「グランドシネマサンシャイン」へ、ブレッド・モーゲン監督の『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を見にいく。
世界的ロックスター、デビッド・ボウイの人生と才能に焦点を当てたドキュメンタリー。
デビッド・ボウイ財団初の公式認定映画で、ボウイが30年にわたり保管していた膨大な量のアーカイブから厳選された未公開映像と、「スターマン」「チェンジズ」「スペイス・オディティ」「月世界の白昼夢」などの40曲で構成。全編にわたってボウイ本人によるナレーションを使用した。
(「映画.com」より)
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天才デヴィッド・ボウイの感性のなかを冒険するようなワクワク、ドキドキの映画だった。
館内いっぱいに響くボウイの音楽と、鋭い感覚で編集された映像のコラージュ。そこにボウイのナレーションがはいる。こんなにボウイが自分の近くにいる感触を体験したことがない。
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わたしは初期からの、デヴィッド・ボウイのファンではなかった。わたしのなかでは、長髪でジーンズというような自然スタイルがロック・ミュージシャンのイメージだった。
ところが、ボウイの写真を見るとこれ以上ないほど派手派手。化粧を顔一面塗って、ひと目では、男性だか女性だかわからない。
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わたしにデヴィッド・ボウイをすすめてくれたのは、むかし勤めていた本屋さんのアルバイト学生だった。彼女は、思想も感性も思い切りとんがっていた。
アルバイトの学生たちと飲み会へいくと、よく彼女と映画やロックの話をした。
当時『E.T』という映画が流行っていたが、彼女は「疑似ヒューマニズムは嫌い」と、斬り捨てた。わたしも同感だった。
ロックでいえば、ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンは、彼女と共有できた。レッド・ツェッペリンも。
しかし、彼女が称賛する、デヴィッド・ボウイを、わたしは受け入れられなかった。
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その頃(1983年)、一種のデヴィッド・ボウイ・ブームが起こっていた。
アルバム『レッツ・ダンス』が大ヒットし、ボウイが俳優で出演している大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』が公開になった(映画の音楽は、ボウイではなく坂本龍一)。
アルバムと映画のヒットで、新しいデヴィッド・ボウイ・ファンが急増した。
しかし、古くからのボウイ・ファンだった彼女は、「このアルバムはボウイらしくない」と、冷淡だった。
1983年、デヴィッド・ボウイ来日。一緒に日本武道館へいった。
しかし、それでわたしがボウイを理解し、ファンになったかというと、そう簡単ではなくて、日常的に聴くようになったのは、彼女が大学を卒業するともにアルバイトをやめ、会うこともなくなってからだった。
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『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』は、ボウイの人生を、時間を追ってたどっていく伝記映画ではない。
映像は、抽象絵画の連続であり、ボウイ自身も動く絵画の一部に溶け込んでいる。
頭の中で再構成しないと、いまボウイがどこの時代にいるのかわからなくなる。
でも、そんなことを気にする必要はなかった。
黙って、音楽と映像の饗宴を、シャワーみたいに浴びてるだけで幸せを感じられる映画だった。
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ときに、デヴィッド・ボウイを教えてくれた彼女も、いまは60歳を超えたはずーー。
元気なら、どこかの映画館で、憎まれ口を叩きながらこの映画を見ているだろうな(笑)。