かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ビートルズと共に1960年代を生きた音楽評論家 〜 松村雄策氏の『ハウリングの音が聴こえる』を読む。

 

 

 

 

3月11日(木曜日)。

松村雄策氏の11冊目の本が出ているのを知った。

 

 

 

松村さんが亡くなられたのは2022年3月12日で、その後、10冊目の単行本『僕の樹には誰もいない』が出版された。

 

 

 

これが最後だと思っていたら、Amazonのサイトに11冊目の単行本『ハウリングの音が聴こえる』を見つけた。

 

 

 

『僕の樹には誰もいない』は「ロッキング・オン」誌の連載を 1冊にまとめた本だったが、『ハウリングの音が聴こえる』は、「小説すばる」へ4年間連載したものを単行本化したものだった(2014年4月号 〜 2018年3月号)。

 

 

 

10冊目の『僕の樹には誰もいない』は電子書籍になっていないので、紙の本を買ったが、11冊目の『ハウリングの音が聴こえる』も電子書籍にない。Amazonから紙の本を取り寄せた。

 

 

 

松村さんの読者は、同世代ならもう高齢者の部類にはいる。わたしのように紙の本の活字が小さくて読みにくいと感じる人がいるかもしれない。紙でも電子書籍でも自由に選択できるようにしてほしい、と思う。わたしは家が狭いので、本棚もいっぱいで、新しい本を収容できるスペースがない。

 

 

 

なので、わたしの場合、電子書籍になっていない本は極力読まないようにしているけれど、松村雄策さんの本はこれまで全部読んできたし、ここでやめてしまうわけにはいかないと思い、Amazonから取り寄せた。

 

 

 

 

 

 

1964年の夏、ビートルズの初主演映画『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!』(今は『ハード・デイズ・ナイト』という邦題になっているが、わたしには当時呼びなれた『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!』の方が、なじみがある。会話の中では、略して「ヤア!ヤア!ヤア!」と呼んでいた。)が公開された。

 

 

 

築地の映画館でロードショーを見た。映画館の前には長い列ができていた。指定席ではなく、席の確保は並んだ順番だったと思う。席の入替制がなかったので、一度行くと二回見た。ロードショーでは二回行ったので四回見たことになる。それからは、地元埼玉の映画館、東京の映画館(いわゆる二番館・三番館)に落ちてくると追っかけみたいに見て回った。

 

 

 

およそ何回見たんだろう?──60回くらいまで数えていた。映画館ではなく、九段会館や大隈講堂のようなところでも見た。それから、もう回数を数えるのをやめた。

 

 

 

松村雄策さんも同じような体験をしていた。『ハウリングの音が聴こえる』で、次のように書いている。

 

 

 

そして、中学一年生の夏に、あの映画『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア! / ア・ハード・デイズ・ナイト』を見たのだった。これで僕の人生は決定されたといってもいい。

 

 

この映画は、以後劇場で二百回は見ている。ビデオが出ればビデオで見て、DVDが出ればDVDでも見る。おそらく、三百回は見ているだろう。今でも、一年に一回や二回は見ている。二十三歳のジョンや二十一歳のポールを、還暦を過ぎた男が憧れのまなざしで見ている。(P12)

 

 

 

 

当時(1964年)の熱烈なビートルズ・ファンは、映画を見た回数はちがっていても、似たような体験をしてるのではないか。

 

 

 

一つには動くビートルズの映像が他には数えるほどしかなかったから。一つは、この映画『ヤア!ヤア!ヤア!』が半ドキュメンタリーみたいな創りで、ビートルズは、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ自身を演じていたから。

 

 

 

キャラクターの区分けがよく出来ている(脚本は、アラン・オーエン。ビートルズのイギリス・ツアーに同行し、彼らの性格・行動をつかみ、映画に反映させた)。

 

  • 反抗的なリーダー、ジョン・レノン。
  • チャーミングな、ポール・マッカートニー。
  • 皮肉屋の、ジョージ・ハリスン。
  • 孤独なドラマー、リンゴ・スター。

 

 

 

彼らの演奏シーンが生々しかった。四人全員が楽器を演奏し、曲によってボーカルが入れ代わる──はじめて見るものだった。そのころの日本のグループは、歌手と演奏者にハッキリ分かれていた。

 

 

 

 

 

 

1964年に映画『ヤア!ヤア!ヤア!』を見てから、わたしの生活は、ビートルズ漬けの毎日になった。レコードはもちろんだけど、雑誌や本に「ビートルズ」という文字があれば、買わずにいられなかった。

 

 

ビートルズは、学校の窮屈なルールから解放してくれた。もともと怠け者だったが、いっそう試験の出来や進学の受験にこだわらなくなった。ビートルズは、理論ではなく、音楽で自由な生き方を教えてくれた。

 

 

 

しかし、その頃ビートルズのことを記事にする音楽評論家やライターは、わたしより上の世代で、どの記事も、気持ちにぴったり来なかった。

 

 

 

初めて、隅から隅まで共感したのが、松村雄策氏の『アビーロードからの裏通り』(1981年)という単行本で、この1冊で松村雄策さんのファンになった。

 

 

 

 

 

 

それからは、松村さんの本は全部買うようになった。

 

 

 

その11冊目が最新の『ハウリングの音が聴こえる』である。

 

 

 

前半には、ロックと関係ない相撲・野球(主にこの二つが多い)の出来事が、現在進行で語られ、後半は突然ロックに話題が移っていく。この構成は、「ロッキング・オン」の連載とほぼ同じで、松村雄策流とでもいうのか。

 

 

 

しかし、連載に登場するバンド、ミュージシャンは、この時期(2014 〜 2018年)とは関係なく、松村雄策さんが1960 〜 1970年代に影響を受けた懐かしい人たちばかり──流行のロックを無視したわがままな音楽評論家である(笑)。

 

 

 

ビートルズが圧倒的に多いが、アニマルズ、デイブ・クラーク・ファイブ、ハーマンズ・ハーミッツ、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、ビーチボーイズ、ドアーズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンなどなど。

 

 

 

本のどこを切り取っても松村雄策。松村さんの書くものを読んでいると「文は人なり」という古いことわざを思い出す。

 

 

 

 

『ハウリングの音が聴こえる』の最終回から引用する(少し長いけど)。

 

 

 

一九六九年七月、『アビー・ロード』のレコーディングが始まった。ジョンは交通事故で入院していたため、スタジオに四人が揃ったのは開始九日後だった。約束していたようにメンバーの言い合いもなく、八月二十日すべてのレコーディングが終了した。そして、九月二十六日、ビートルズのラスト・アルバムが発表された。

 

 

同じ頃、僕は高校3年生で、威圧的な校風に違和感を持っていた。その結果、学生運動の活動家だった同級生と手を組んで、二十人ぐらいで文化祭実行委員会を作った。すると、右翼と言われていた教師とそいつに飼われていた生徒が、やたらと言いがかりをつけてきた。会議をひらいていたときに、野球部員がバットを持って脅しに来たこともあった。

 

 

文化祭は今迄になかったほどに盛り上がり、大盛況で終わった。生徒が下校し僕達が片付けをしているときに、ひとりの教師が難癖を付けて来た。約一か月我慢をしてきた僕達は、ついに切れてしまった。その教師に抗議をした。

 

 

ときは一九六九年秋、七十年安保に向けて、世の中は騒然としていた。隣の都立高校では、活動家の生徒が何か月も体育館に立て籠もっていた。僕達は校舎に入って、教師達と話し合った。夜も十時を過ぎて、もう遅いからあとは明日にしようということになった。そして、次の朝、学校から退学にするという電話があった。騙し討ちである。(「それでは、皆さん、さようなら」)

 

 

 

 

 

松村雄策さんの思い出は、いつもビートルズと共にあった。

 

 

 

昔を回想するとき、その年はビートルズに何があったか、ビートルズは何のレコードを出したか──それを思い浮かべると、スルスル自分に起きた出来事が蘇ってくる。

 

 

 

今年、2026年は、1966年のビートルズ来日から60年目にあたる。松村さんもわたしも、ついにこの年、日本武道館で、生のビートルズを目撃した!!

 

 

 

 

「アイム・ダウン」(1965年──シェアスタジアム)。日本公演でも、一番最後に演奏された。

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