1964年「エド・サリバン・ショー」出演シーン。
★
【ジョン・レノン:1940年10月9日ー1980年12月8日】
弟とお酒を飲みながら、「もうすぐジョンの生誕83年だね」という話からはじまり、わたしがビートルズに出あったころの昔話になった。
今回は、ジョン・レノンではなく、ビートルズと出あった昔話の方を、記録しておきます。
1964年の春、中学3年だった。
突然、ラジオから流れてきた、まだ聴いたことのない音楽に遭遇したんだよ。
なにしろ、叩きつけるような乱暴な演奏のなか、歌というよりギャーって叫ぶんだからね。この曲を聴きたいので、ベストテン番組を片っ端から聴いた。当時、ラジオでは「ベストテン番組」をあちこちでやっていたから。
投票は、ハガキだよ。ひとつだけ電話リクエスの番組もあったけど。
そこでどの番組でも、その曲はかかった。ご存知、ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」。まだどういう連中がどんなふうに歌っているんだか、叫んでいるのかも、映像で見てないから知らなかった。
「なんだよ、ビートルズって?」
レコード屋へいって、ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」のシングルを買った。はじめて買ったビートルズのレコードはこれ。B面は「ロール・オーバー・ベートーヴェン」だった。
本屋で音楽雑誌を見たら、4人が演奏している写真があった。たぶん「ミュージックライフ」かな?
ギター3人とドラムのグループだとわかった。バンドというより、グループという言い方が一般的だったな。おもしろいのは髪型。4人がオカッパ頭だ(笑)。
当時テレビでやっていたアメリカの「三ばか大将」というコメディ番組があった。「三ばか」のひとりが、ビートルズとおんなじ髪型をしていた。
もちろん、一番左の人ね。
「ビートルズは四ばかか」。いよいよおもしろい連中だとおもったな。
日本では、楽器を持たず3〜4人がステップを踏みながら歌うか、もひとつは、歌手のバックで演奏だけするグループはあったけど、ビートルズは、自分たちで演奏して、歌も歌っているようだ。
「自給自足」という言葉が頭に浮かんだ。「すげえ」とおもったよ。
それから、ビートルズのシングル・レコードを、小遣いと相談しながら、1枚1枚悩みながら買っていったが、そんな必要なかったんだ。どのレコードも、間違いなし。気持ちにぴったりくる……いやもう、気持ちどころか、全身に音が直撃してくるような…。
最初は、曲のなかで「ギャー」とか「ワー」とか叫ぶ曲が好きだった。なんだろう、このやかましさは、って。
歌謡曲とか洋楽も聴いていたけど、こういう音楽はじめてだった。ビートルズの「叫び」は、学校や家の束縛から解放してくれるように感じられた、あとになって思えばだけどね。
★
「ツイスト&シャウト」。数年前の「NHK-FM ディスカバー・ビートルズ」で、杉真理さんが「ギャー」と叫ぶ曲を集めた特集をやった。最高だった!(1分6秒)。
www.youtube.com
★
そしてその夏、あの映画『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』が公開されたんだ。
「松竹セントラル」という築地の映画館だけど、田舎の中学生で電車の行き方がわからないから、親父についてきてもらったのは、前にも話したよね。
そこで、動くビートルズをはじめて見た!!
- 映画のなかの、ビートルズは走る走る走る。
- マネージャーのいうことを聞かない。
- 女の子にちょっかいを出す。
- 隙あれば、マネジャーの目を盗んで、控室から脱走する。
- リンゴは、仲間からドラムが弱い、鼻がでかすぎる、といびられて、本番前にいなくなってしまう。
彼らは、いい子たちじゃなかった!!
映画が、よくあるようなグループ4人の友情物語だったら、それほど夢中にならなかったかもしれない。「アンチ友情」(深刻なものじゃないけど)の物語なのがうれしかった。
そして、なんといっても、4人が演奏して歌う、その姿が最高だった。
ロードショーから名画座へ、次々通った通った。映画のおっかけだよ(笑)。
劇場で、60回くらいまでは見たけど、あとは数えるのがめんどくさくなった。自宅でビデオで見られるようになるのは、まだまだ先だった。映画館のほか、大隈講堂や九段会館にもいったな、たしか。
相変わらず、中学校は嫌いだったけど(くだらない校則で、坊主頭だったし)、ビートルズのおかげで、毎日が俄然たのしくなってきたよ。
ビートルズとの出逢いって、そんな感じかな。あとは、もうずっとね、知ってるだろ(笑)。
★
映画『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』の全音楽シーン(31分4秒)。
www.youtube.com