かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ボブ・ディラン自伝を読む

ボブ・ディラン自伝(菅野ヘッケル訳、ソフトバンク・パブリッシング株式会社)

ボブ・ディラン自伝

目次
第1章 初めの一歩
第2章 失われた土地
第3章 新しい夜明け
第4章 オー・マーシー
第5章 氷の川

ディランが、一気呵成にコンピュータかタイプライターのキーを叩いて書きまくった、そんな感じがする本です。

とにかく有名無名たくさんの人物が登場して、ほとんど周知のごとくにディランの説明がはじまるのですが、もともとなじみの薄い人物(知らない人ですね)が圧倒的におおく、読んでいてもなにがなんだかよくわからない(笑)。それに、時間系列に、なんの法則もない。書きながら、あちこちの時代へ跳んでいってしまう。ある程度ボブ・ディランに予備知識がないと、ディランはどの時代の、どんなことを読者に伝えようとしているのか、全然わからないのではないか。そんな難解な本です(笑)。

第3章の「新しい夜明け」のあたりから、知らない人の登場ラッシュが一段落して、少し読みやすくなります。そして、これまでのディランにまつわる粉飾された神話の真相が、少しずつボブ・ディラン自身によって語られていきます。きっと、読書がこの本に期待するのはこのへんではないかとおもいますが‥‥。

☆アルバム『ナッシュビルスカイライン』(1969年)について

ボブ・ディランは、担わされた時代の代弁者としての役割、リーダーとしての責任から解放されることを志す。脱プロテスト・シンガーの試みだ。

ナッシュビルスカイライン』は、つくられてしまった偶像としての「ボブ・ディラン」を破壊するために発表したアルバムであるという。ディランの説明は雄弁だ。
ナッシュヴィル・スカイライン(紙ジャケット仕様)

わたしはエルサレムに行き『歎きの壁』の前でヤムルカ帽をかぶって写真を撮った(アルバム・ジャケット参照)。この写真はまたたく間に世界じゅうに送られ、一晩のうちに新聞がわたしをユダヤ主義者に転向させた。少しうまくいったようだ。帰ってくるとすぐに、おとなしく万人受けするサウンドになるよう心がけて、カントリーウエスタン調に聞こえるレコードを録音した。音楽雑誌は判断を迷っていた。わたしは声までも変えていたのだ。みんなが頭を抱えていた。

ぼくのようにボブ・ディランを60年代に知り、『ナッシュビルスカイライン』の変身に、彼らしい革新性を感じたファンには、ディランの投げやりなこのアルバムへの評価はちょっと寂しい。このアルバムが好きだったファンだっているのだ。

☆アルバム『セルフ・ポートレイト』(1970年)について

この二枚組アルバムでは、ディランはかつてのしわがれ声と『ナッシュビルスカイライン』ではじめて公開した「美声」をごちゃまぜに収録している。「自画像」とタイトルされたこのアルバムのディランの意図はなんであったのか。

ディラン自身の文章によれば、、、

わたしは二枚組のアルバムを発表した。思いつくものは何でも壁に投げつけ、壁にくっついたものはすべて発表する。壁にくっつかなかったものをかき集め、それもすべて発表する。そういうアルバムだった。

ということですが、ボブ・ディランの説明は少し抽象的すぎて、具体的な意図がつかみにくい。
彼は自らいうところの、意味をもたないアルバムを制作し、どうしようとしたのか。

小説家のハーマン・メルヴィルの『白鯨』以降の作品は、そのほとんどが知られないままになっている。批評家たちは彼の作品は文学の領域をはみ出したとして、『白鯨』を燃やすように薦めた。メルヴィルは亡くなるころには、ほとんど世間から忘れられていた。

ボブ・ディランは、自分の存在を忘れられたがっていたのか。どこまで本気でそう思っていたのか。

批評家たちがわたしの作品を評価しなければ同じことが起こる。世間がわたしを忘れてくれる、とわたしは考えていた。おかしな考えだ。

そう、おかしな考えだ(笑)。60年代から70年代、わたしたちが彼に抱いていた敬愛は、ディラン自身が考えるほど簡単なものではない。あまりにディランの考えが安易でおどろいてしまう。そして、ぼく自身でいえば、すでにプロテスト・シンガー、ボブ・ディランよりもずっとロック・ミュージシャンであるボブ・ディランに惹かれていたというのに。

60年代に築いたプロテスト・シンガーという名声よりも、ボブ・ディランにとって重要だったのは、何だったのか。答えは、意外なほど簡単だった。

家族がわたしの光であり、何を犠牲にしてもその光を守るつもりだった。わたしが最初に、また最後に、そしてそのあいだもずっと心に捧げるのは、家族だった。それ以外のものに対して、何の責任があるのか? ありはしない。マスコミに対しては? 嘘をついておけばよかった。

これがディランが、プロテスト・シンガー、平和運動のリーダーから逃れようとした本当の理由なのかどうか。しかし、とにかくボブ・ディランは自伝でそのように説明している。

まだ第3章までしか触れられませんでしたが、長くなりましたので、ひとまずこれで失礼します。