かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」

男はつらいよ 寅次郎忘れな草 [DVD]
男はつらいよ」、シリーズ第11作「寅次郎忘れな草」を見ました。BS放送の設備がないので、ringoさんのブログを読みながら、刺激を受けて見ています。いつもringoさん、ありがとうございます。これから、ringoさんの「リンゴ日記」がアップされるたびに、寅さん再訪が続きそうです(笑)。

「寅次郎忘れな草」のマドンナは浅丘ルリ子が扮するリリィですね。このシリーズでもっとも人気の高いマドンナが、本作で初登場いたします。

映画はまず、いつものことですが、寅さん(渥美清)ととらやファミリーのあいだに、小さないさかいがあります。さくら(倍賞千恵子)が、小学生の息子=満男(中村はやと)にピアノを買ってあげたいが、買うのは高いし、第一狭いアパートでは、ピアノが入口をはいらない、と愚痴めいた話をしています。そこへ間が悪く、旅から帰ってきたのが寅さん(笑)。

「お前たちは、毎日額に汗して労働して、ピアノも買えないのか」といったかと思うと、とらやを飛び出していきます。もしやピアノを買って……と思いますが、寅さんが買ってきたのは、小さなおもちゃのピアノでした。さくらに「ピアノ」を渡して得意そうな顔をしている寅さんに、「欲しいのはおもちゃではなく、本物です」と、誰も本当のことがいえません。逆に、とらやのファミリー全員が気を使って、大袈裟に喜んでみせます。

そこへいきなり入ってくるのが裏の工場のタコ社長(太宰久雄)。これも寅さんシリーズでは、定番です(笑)。「なんだい、おもちゃのピアノかい」とバカにして、高笑い。とらやファミリーの困り果てた表情をみて、寅さんは、おもちゃのピアノで喜んでいたのは、実は自分への気遣いであったことを知ります。

「そうならそうとなんでいってくれねえんだよ」‥‥とらやファミリーの善意から出た気遣いが裏目に出て、寅さんを怒らしてしまいます。

このとき、さくらの夫、博(前田吟)がまじめな顔で、「兄さん、ぼくたちが欲しかったのはおもちゃのピアノなんですよ」というのが、ぼくはとっても可笑しかったのですが。

旅先では懐の深い苦労人である寅さんが、ひとたび柴又へ帰ると、甘えきった駄々っ子になってしまうのが不思議です。この甘えが、寅さんにとって、自分への愛情確認なんでしょうか。自分がどれだけ理不尽なことをいっても、さくらやおいちゃん(松村達雄)やおばちゃん(三崎千恵子)は結局許してくれる‥‥それがわかっているから寅さんは駄々をこねて、最後は自分できまりが悪くなって、旅へ出ていってしまう。ほんとうは怒っているのではなく、なんだか、きまりが悪いのではないでしょうか。

今回はそのたてこんでいるところへ、旅先で知り合った、どさ回り歌手のリリィ(浅丘ルリ子)が、とらやにやってきます。

話が先に急ぎすぎたかな(笑)。リリィと寅さんは、どこでどうやって知り合ったのでしょうか‥‥寅さんとリリィは、北海道で知り合っていました。

商売がうまくいかず、海をぼんやり眺めている寅さんに、近付いてきた見知らぬ女(リリィ)がいいます。

「兄さん、ちっとも売れないじゃないか(笑)」。

寅さんが見上げると、女が笑っています。すごい美人だが、素人の女ではなさそうです。寅さんは、昨夜彼女が夜汽車のなかで、ひとり泣いていたのを見ていました。

「ねえさん、ゆうべ泣いていたね」と寅さんが静かに返す。
「兄さん、見てたのかい」とリリィ。

寅さんとリリィのなかに、旅暮らしの中に生きる、寂しい共感のようなものが流れます。

海を眺める寅さんとリリィ。そして寅さんの「おれたちってよお。あってもなくってもいい、アブクみてえなもんだよな」という言葉に、リリィは無言でうなづきます。

これが寅さんとリリィの出会いです。最初から息がぴったりです。寅さんシリーズのどのマドンナとも、最初からこれほど気持ちが通いあうことはなかったとおもいます。

しかし二人は再会の約束もしないで別れてしまいます。しつこく詮索しないのが、旅先のダンディズムなんでしょうが‥‥。

寅さんは、ただ「おれかい? おれの生まれは葛飾柴又よ」と短い口上をいいます。

‥‥それを頼りにリリィは、柴又にやってきて、寅さんと再会を果たすのが、先の「ピアノ事件」の直後というわけです。

そのあとの一連のエピソードは、他の寅さんシリーズとそれほど変わりません。ただ、寅さんとリリィのあいだには、映画の最後まで、互いに共感するものが流れています。

これまでのマドンナのように「寅さんはいいわねえ。あちこち旅が出来て。わたしも寅さんみたいに旅にいきたい」というような、遠いものに憧れる関心ではありません。

寅さんシリーズを貫いているのは、とらやの家族をはじめとする「かたぎの定住者」と、「さすらうヤクザ、寅さん」との対比なんですね。ねぐらを定めて堅気の仕事をもたなくちゃいけない、と、とらやのおいちゃんやおばちゃん、さくらもそう思っています。寅さん自身もそうです。でも、寅さんは映画の最後には、また旅に出てしまいます。

寅さん映画を保守的な、古い道徳を押しつける映画だ、と批判的に見るひともいます。確かにそれは否定できないのですが、寅さんは定住者に憧れながらも、どうしてもそれができないアウトローであることには変わりません。ぼくは、寅さんシリーズを見ていると、激しい旅心にかられてしまいます。けっして「1つの場所に住み、1つの職業で安定したい」とは思いません。寅さんシリーズがぼくを駆り立てるもの、これはなんなのか、といつも思います。

歴代のマドンナは、定住者の側にいて、さすらう寅さんに遠い関心を寄せました。しかしリリィは、寅さんと同じさすらう側にあって、寅さんへ強い共感をしめします。これが、リリィが登場する作品の大きな特徴です。

寅さんシリーズは、リリィの登場でいっそう楽しくなりましたが、リリィ登場の1作目「寅次郎忘れな草」では、彼女が、最後に善良そうな寿司屋さんに嫁いで、あっけなく終わってしまいます。突然、定住者の側に移行してしまうのです。「それはないんじゃないか、リリィよ」と、寅さんのマネしていってみたくなります。

だから、リリィは、再び登場しなければなりません。もちろん、さすらいの側にもどって。そして、彼女が再び登場する「寅次郎相合い傘」は、寅さんシリーズの最高傑作になります。

■追記:tougyouさんがコメントで触れているとおり、『寅さんの forget-me-not とリリー』の視点にぼくと多くの共通点があるので、びっくりいたしました。遅ればせながらリンクさせていただきます。