かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ボブ・ディラン、フォークからロックへ〜60年代のディラン

■この文は、ringoさんの「リンゴ日記」へのトラックバックとして書きます

【注】[]内は、すべてringoさんの引用です。

ディランは、最初フォークシンガーとして出てきて、人気も上がったのですが、いつの間にか自分以外の大きな力というか、ファンやマスコミが作り上げたレッテルに縛り付けられるのが、苦しくなったのでしょうか。私は、もともとフォークソングのことはよく知りません。だから、ディランを支持していたフォークファンの気持ちもわかりづらいのです。いつしか、ディランがエレキギターを持って、バンドを従えてステージにあがりました。その時の、ブーイングは以前から話には聞いていましたが、この番組では、ディランとファンたち、マスコミとの戦いの歴史を主に捉えていたものと、私には解釈できました。

昔から伝えられている伝記では、フォーク・フェスティバルで、エレクトリック・ギターを持ったボブ・ディランがロック・バンドをバックに演奏しはじめると、客席から激しいブーイングが起こった、ということですね。フォーク・ソングの熱心なファンには、ロック・ミュージックやエレクトリック・ギターは、商業主義に身を売ったいまわしいシンボルのように思われていたようです。そのいまわしいロック・バンドを引き連れて、ボブ・ディランが歌いはじめたわけです。


■若き日のディラン(右写真はジョーン・バエズと)


ディランは演奏を続けようとしましたがブーイングは鳴り止まず、涙を浮かべたディランは一度ステージを降り、今度は客席が望むように、アコスティック・ギター1本を持って、ステージに戻ってきました。

ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム(紙ジャケット仕様)【2012年1月23日・再プレス盤】
改めて、ディランが生ギター1本で歌ったのは、新しいアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(ディランが、エレクトリック・サウンズで録音した初めてのアルバム)から「すべてはおしまい」でした。この曲は、「新しいマッチに火をつけて、もう一度やり直そう、すべては終わったのだから」という訣別の歌でした。まるであらかじめフォーク・ファンへとの別れを予期していたような曲を、ディランは歌い、その後彼は、彼を育てたともいえるフォークソング・フェスティバルとの別れを決定したのでした。

そんなエピソードですね。このエピソードも、当時宣伝効果を考えてつくられたもの、という話もあって、実際のところ、ぼくはよく知らないのですが、ディランがこのフェスティバルで歌った「すべてはおしまい」を公式海賊盤でいまは聴くことができます。全部がつくられた話でもないようですね。

リジェンダリー・パフォーマー
しかし、、、

その実態はなんであったのか、ぼくは今度の映像に期待しているところの1つなんですけど、マーティン・スコセッシの映画がどのように捉えているのか興味があります。

あるフォークシンガーは、「ディランは、ウッディ・ガスリーの後継者であるピート・シーガーのそのまた後継者とみなされていたので、エレキギターを持ったときは、衝撃だった」というようなことをはなしていました。ファンも同じような思いでいたのでしょうか。

ボブ・ディランウッディ・ガスリー(写真右上)を崇拝していた、というのは事実のようです。彼は、最近発刊した「ボブ・ディラン自伝」のなかで、自分で歌を作る前は、ウッディ・ガスリーの曲だけを歌っていた時期がある、と書いています*1

ボブ・ディラン自伝
今回の映画に連動したアルバム『No Direction Home』には、非常に珍しい(少なくもぼくが聴くのははじめて)、ピート・シガーの代表作「ディス・ランド・イズ・ユア・ランド」*2ボブ・ディランが歌っている録音が収録されていて、これはちょっと新鮮でした。

それから、ディランは、死の病で入院しているウッディ・ガスリーを何度も見舞っています。さらに、彼のメロディ・ラインを借りて(といっても、ほとんどトーキング・ブルースの形態=つまりしゃべるような曲)、「ウッディに捧げる歌」を作詞・作曲しています。ディランの出発は、ファンが思っていたように、彼らの系列にあったのではないかと思います。

イギリスツアーでのファンのヤジは、強烈でしたが、それにはディランも応戦してさらにボリュームを上げ、ロックしていました。そんな姿は、私には、とてもカッコよく映りました。

フォーク・シンガーの代表的な存在であるボブ・ディランが、皮ジャンを着て(今は皮ジャンなんていわない?)、ロック・バンドを引き連れ、大音量で演奏しはじめた……フォーク・ファンには、ディランの背信行為と見えたようですが、、、


   
■フォークからロックへディランは変化する(右写真は、頭がロック!)


ぼくが1966年、最初に買ったボブ・ディランのレコードは、LP2枚組のベスト盤で、ライナー・ノーツにそのエピソードが書かれていたとおもいます。事件から1年後にはすでにディラン伝説として有名になっていたようですね。

しかし、そのベスト盤で、ディランをはじめて聴いたものの、生ギター1本で歌っているボブ・ディランの歌は、ぼくにはロックとして聴こえました。ただバック演奏が生ギターだけだ、という違いです。

その頃、日本で流行していたフォークというと、ウッディ・ガスリーでも、ピート・シガーでもなく、ピーター、ポール&マリーキングストン・トリオ、ジョーン・バエズなどでした。彼らは静かなスリーフィンガー奏法*3を中心に、高い美しい声でコーラスをやっていました。

Song Will Rise
しかし、ボブ・ディランは最初から、ジャンジャン、ギターをかき鳴らすストローク中心の奏法で、声はあのとおりしわがれ声ですから、ぼくには、フォークではなく、ギター1本のロックとしか聴こえませんでした。だから、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーンズ」を聴いても、なんの違和感も感じませんでした。

ディランは、帰るべき家に帰りたかっただけと語っていました。それも、本音かもしれませんね。勝手に作りあげられたイメージというのは、なかなかくずれないものですね。スターは、自分らしく素直に生きていくのは、ほんとうに難しいです。

ジョーン・バエズ
ringoさん、ボブ・ディランは当時フォーク・シンガーとしてだけでなく、アメリカの公民権運動の旗手としても人気と期待を集めていたようですね。それは、抽象的なプレッシャーだけでなく、アメリカ政府から要注意人物として警戒されるのでは、という恐怖心をディランに与えたようです*4

1972年、ジョン・レノンは左翼活動家と行動を共にしたため、ニクソン政府から要注意人物として危険人物リストにファイル化され、盗聴や尾行を受けていたといわれます。60年代では、ビートルズではなく、ボブ・ディランがアメリカには危険人物と目されてもおかしくありませんでした。ディランは、それを恐れていたようです。

「ぼく(ディラン)には、自分のプライベートな生活がある。ぼくは、ミュージシャンであっても、期待されるような社会活動家ではない」……ディランの気持ちを要約すれば、そんなものでしょう。

ディランは、社会活動家としての初期のイメージを、自分で壊すために、思想性ゼロともいえる、カントリー・アルバム『ナッシュビルスカイライン』、またテーマ性ゼロの寄せ集めアルバム『セフルポートレイト』を発表したりしています*5ミスター・タンブリン・マン

ちょっと、おもしろかったディランの言葉がありました。一時ディランの雰囲気のある歌がヒットしました。ソニー&シェールの「アイヴ・ガット・ユー・ベイヴ」ですが、ソニーはこの曲をディラン風に書き上げました。きっと、ヒットするだろうと期待して。それが、見事に当たりましたね。ところが、ディランは、「このサウンドは、嫌いだ。勝手にやってるだけだ。」と一蹴していました。なんと面白い人、と私は思いました。

ボブ・ディランの「ミスター・タンブリーマン」をバーズがカバーして、フォーク・ロックといわれる折衷音楽が生まれました。バーズは、ビートルズのスタイルでディランをなじみやすく演奏したら受けるのではないか、と考えたわけでしょうが、これが見事にあたったんですね。ディラン本人よりも当たりました(笑)。

明日なき世界
その延長上に、バリー・マクガイアーの「明日なき世界」(あの、「ドンブリドンブリ」って歌う曲です<笑>)や、ソニー&シェールの「アイヴ・ガット・ユー・ベイヴ」などがヒットしたんでしょうね。ぼくは、どちらもシングル買いましたし、好きでしたよ。しかし、ディラン本人には、また違う思いがあったんでしょうか。ディランのカバーをもっとも多く出したのは、バーズで、彼らはディランのカバーだけでアルバム1枚出していますが、ディランは、バーズのことはどう思っていたのでしょうか。

Wonderous World of Sonny & Cher
というのは、「ボブ・ディラン現役30周年記念コンサート」には、バーズのロジャー・マッギンも登場し、ディラン自身も加えたオール・スター・キャストで、その上バーズのアレンジで(笑)、「マイ・バック・ペイジ」を歌っているからです。

ringoさん、マーティン・スコセッシ監督の映画『No Direction Home』の情報ありがとうございます。来年には、映画館で劇場公開されることを、「ビートルズ探検隊」のメンバー投稿で知りました。映画を見て、もし新たに自分で気がついたことがありましたら、改めてブログで書いてみたいとおもっています。長々と引用して、すみませんでした。

*1:ウッディ・ガスリーもピート・シガーも、アコスティック・ギターで、祖国への想い、また旅と放浪しながら見聞したもの、などを歌うシンガーと聞いていますが、実際はよく知らないのですみません

*2:「ディス・ランド・イズ・ユア・ランド」の邦題忘れました(笑)。ぼくは聴いておりませんが、ウッディ・ガスリーも歌っているようですね。最近知りました

*3:3本の指で、コードを分解して弾きます。ビートルズ・ファンには、ジョンの「ジュリア」などがよく知られていますね

*4:ボブ・ディラン自伝」にはその心境を詳しく書いています

*5:ぼくは、この2つのアルバムがけっこう好きでした。特に、ディランが声を変えた『ナッシュビルスカイライン』をいまでも愛聴しています。このアルバムには、お風呂で鼻歌を歌うような気さくなディランがいます