かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

大谷資料館で、地下洞窟を見学する(2月7日)。

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「大谷資料館」の入り口。





2月5日(金曜日)


翌日、両親とも仕事になったので、6歳(小学1年生の女子)の双子が泊まりにきた。


5日の夜は、娘(双子の母)もやってきて、いっしょに夕飯を食べて、チビたちをお風呂にいれてから、寝る少し前に帰った。




2月6日(土曜日)


あたたかくて、いい天気だった。


チビたちをどこかひとの少ない公園に連れていこうか、と考えていたが、YouTubeを見たり、オセロをやったり、トランプ遊びをやったりして、外へ出たがらない。


一度外へ出てしまうと、こんどは公園の遊具などで遊びはじめて、帰ろうとしない。だから、行くとしたら、遊具などがない公園がいい。


チビたちを遊ばせるのは、なかなかむずかしいのだ。


わたしの妻は、自分を棚にあげて、両親(娘夫婦)が甘いから、良くいえば天真爛漫、悪くいえば、わがままに育った、といっている。




職場の娘から妻(娘からみれば母)に、
「どうしてる?」と電話があった。
「だいじょうぶ、ケンカしないで遊んでるよ」と妻がいった。


夕方になって、また娘から妻に電話があった。
「どこか、出かけた?」
「ずっと家(うち)のなかで遊んでる」
「どっか遊びに連れていく、っていってたじゃない?」
と、娘から妻は責められた。


「親のしつけが甘いから、わたしのいうことなんかききゃしない」、っていやみをいってやった、と妻はわたしに笑った。


午後7時頃、両親が迎えにきて、双子は帰った。うるさい連中で、居ると疲れるが、帰って静かになると、少しさびしくなった。




2月7日(日曜日)。


あったかくていい天気。


きのうどこも出なかったので、今日は、早いうちにどこか行こう、ということになった。


どこがいいか?‥‥と聞かれたので、つるひめさんがブログで書いていた「大谷資料館」を候補にあげてみると、、、


「じゃあ、そこへいこう!」と、妻も賛成した。




tsuruhime-beat.hatenablog.com





圏央道「桶川・北本」から高速へのり、東北道へ出る。クルマが少ないので早い。


長距離のときは、じっくり音楽を聴けるのがうれしい。アップル・ミュージックがわたしの好みにあわせてつくってくれた随時更新される「おまかせプレイリスト」をかける。


デヴィッド・ボウイ、ブライアン・フェリー、ビートルズ(メンバーのソロも含む)、ローリング・ストーンズエリック・クラプトンジェフ・ベックレッド・ツェッペリンニール・ヤングボブ・ディランなど‥‥おなじみのミュージシャンが次々かかる。


ひさしぶりに聴くボブ・ディラン「It's All Over Now,Baby Blue(邦題:すべてはおしまい)」が新鮮に響く。


1965年「ニューポート・フォーク・フェスティバル」ボブ・ディランは、ロック・バンドを従えてあらわれ、爆音で演奏すると、フォーク・ファンから激しいブーイングを浴びた。



訂正
はじめ、このロック・バンドをのちのザ・バンドと書いたけれど、ディランがザ・バンドのメンバーたちといっしょにツアーをやるのは、もう少しあとだと気がつきました。このときディランのバックをつとめたのは、バターフィールド・ブルース・バンド。ギタリストは、ロビー・ロバートソンではなく、マイク・ブルームフィールドでした。


いったんステージから下がったボブ・ディランは、ひとりアコスティック・ギターをかかえて現れ、


「すべては終わったんだよ、ベイビーブルー」と歌った。


「It's All Over Now,Baby Blue(邦題:すべてはおしまい)」の終わりに、こんな歌詞がある。

もう1本マッチを擦って、新たに出発するんだ。
すべて終わったんだよ、ベイビーブルー。


ディランがフォーク・ファンから激しいブーイングを受けたのも、この曲を歌ったのも事実みたいだけど、新曲ではないので、フォーク・ファンへ別れを告げるために意図して歌ったのかはわからない。が、伝説では、そういわれている。


1963年、1964年、1965年とボブ・ディランは「ニューポート・フォーク・フェスティバル」に出演していたが、このときが最後になる。





Bob Dylan - It's All Over Now, Baby Blue (Newport 1965 RARE)
そのときのライブ音源みたいだけど、映像はなし。





東北道の「鹿沼インター」で下り、ナビにしたがって10キロくらい走って、「大谷資料館」へ着いた。


午前7時過ぎに出て、10時頃着いたので、ここまで約2時間半くらいかかったか。駐車場も混んでなかった。


つるひめさんのブログの写真をおもいだしながら、地下道へ下りていく。広い地下の空間は、ひめが書いていたように、インディージョーンズの世界にはいりこんだみたい‥‥。



以下、坑内めぐり。


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少しクルマを走らせると「大谷寺(おおやじ)」へ着く。


寺のなかの石仏は、撮影禁止。




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大谷寺(おおやじ)のなかにある、日本最古の石仏。(HPから)



www.ooyaji.jp





大谷寺の後ろにある岩肌が、怪獣の口みたいな奇妙なカッコウをしていた。


寺の裏へ回ると、弁天堂と、それを護る白蛇のいる池がある。わたしはつくりものでもなんでも蛇が大嫌いなので、弁天堂までいかなかった。




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大谷寺の屋根の上の岩肌。




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屋根の上の奇妙な岩肌をアップしてみた。



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画面右で、白蛇がとぐろを巻いて、弁天堂を護っている。







クルマを置いたまま、歩いて3分ほどのところにある「平和観音」を見にいく。腰くらいまでは、後ろの岩肌に彫りこませてあって、そこから上だけ背面まで立体的につくってある石仏。



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「平和観音」1。




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「平和観音」2。




ここまで見物して、あとは宇都宮名物の餃子を食べようとおもったが、捜した一軒は、コロナのせいかなのか、しばらく休業中の貼り紙。もう一軒は、持ち帰り専門になっていた。


あきらめて、高速「鹿沼インター」近くのそば屋さんに寄る。