●2005年:デンマーク制作
●主演:ブライス・ダラス・ハワード
■映画「マンダレイ」のあらすじ
「ドッグヴィル」の村人への報復をすませたグレース(ブライス・ダラス・ハワード)は、アメリカ南部の奴隷制度の残るマンダレイの農園へやってきます。グレースは、マンダレイの奴隷制度に義憤を感じ、黒人たちを解放します。しかし、黒人たちは解放によろこぶどころか、グレースの独断的な正義感に戸惑いをしめします。
■「マンダレイ」のテーマは?
グレースにはギャングの父があり、奴隷から解放後、安定しないマンダレイの農園を監視するために、彼女は武器をもったギャングを配置し、民主化をすすめます。これはどこか、アメリカのイラク民主化政策にもにていますよね。トリアー監督が、それを象徴させているのかどうか。とにかく、グレースの正義感が、相手の生活感情を無視した独善性の上に成り立っていることを、観客は感じます。
しかし、エンディングの白人による黒人迫害の連続写真は、本編とのバランスを壊すほど強烈で、これをみると、「マンダレイ」が、黒人の差別問題にしぼって描いているようにおもえなくもありません。
映画をご覧になったみなさんの感想を知りたいところです。
■前作「ドッグヴィル」のテーマは?
ギャングに追われてきたグレース(ニコール・キッドマン)を、ドッグヴィルの村人たちは相談のうえ、助け、匿うことに意見が一致しますが、彼らの合意はたえず気まぐれで、グレースを恐怖させます。
「ドッグヴィル」では、やさしかったひとりの人物が、小さなことから冷酷な人間に変貌していきます。さらに、それまで好意的だった村人たちが、何かをきっかけにそろって凶暴さをあらわにする、そんな集団心理の怖さも描かれています。従って、グレースがラストに行う残虐な結末を観客は、肯定します。
「ああいう虫ケラは、処分すりゃいいんだ」。もちろん、虫けらとはドッグヴィルの村民たちであり、人間一般でもあります。
しかし、本作「マンダレイ」は、白人の独善的な民主化政策を批判したものと読めば、テーマは人間の冷酷な本性を暴いた「ドッグヴィル」よりも狭いですし、白人の根深い黒人差別に焦点をしぼったと見ると、さらに限定されてきます。
■省略されたセットは、2作に共通しています
極度に省略化された舞台セットは、白い線で家の枠が書かれていたり、うずくまる犬もただ白い線だけ、登場人物は何もないドアをコンコンとノックしたり、全体に異様な雰囲気が漂っています。「ドッグヴィル」も「マンダレイ」も、欠け落ちた背景は、観客が自分の想像で補足していかなければなりません。
「ドッグヴィル」を見たとき、この省略化された村のセットには、唖然としましたが、さすがに2作目になると、前回ほどの衝撃はありませんでした。
わたしひとりでは、わからないこともおおく、みなさんの感想をお聞きしたい映画です。
<「日比谷シャンテ」にて上映中>