かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

西村賢太著「どうで死ぬ身の一踊り」

どうで死ぬ身の一踊り
骨太な小説です。デフォルメされているとはいえ、作者の「私小説」ではないか、とおもいます。バランスよく構成された口当たりのよい小説になじんでいると、あまりの武骨さにちょっとひるみそうな。でも、作家が頭のなかでこしらえた小説に飽きているのなら、このおのれを体当たりさせた小説を読む価値はあるとおもいます。

■小説のあらすじ

主人公は定職をもたない30歳台の男、「私」。女性に愛された経験がなく、10年も恋人がいないため、お金で定期的に性欲の処理をすませている。彼が唯一打ち込んでいるのは、一時期売れたが、いまではほとんど名前を知るもののない、藤沢清造という、芝公園で野垂れ死に(凍死)した作家のこと。藤沢の根津権現裏」という唯一評判になった作品を古書店から買って以来、魅了されている。

藤沢清造」へ、異常な偏愛ぶりだ。主人公の「私」は、藤沢清造の古書から、自筆原稿、書簡など、古本屋を回って集め、ついには、遺族のいない彼の墓をみつけて、古木の墓標をもらいうけ、自分のアパートにその腐食の激しい藤沢清造の墓を飾りつける。本人は、アパートを「藤沢清造記念館」に見立てて、満足だ。

話が先へ進むと、その後主人公は、はじめて「女」ができる。感激して「私」は同棲をはじめるが、日雇い労働などで、なんとか食いつないでいた彼は、「女」がパートで働きはじめると、自分は働くことをやめてしまい、ますます藤沢清造にのめりこんでいく。

完全なひもの暮しで、さらに藤沢清造全集を刊行するために、無理やり「女」の父親からもまとまった借金をするが、全集は出ないまま、お金はなくなっていく。血族でもないのに、藤沢の家系が絶えていることを知ると、彼の命日に追悼会を催し、藤沢の墓の敷地に、自分の小さな墓まで建立してしまう。そこまで普通やりますかね(笑)。

「私」の生活は、ギャンブルにうつつを抜かして、女に養ってもらう男と、なんら変わるところがない。ギャンブルが、「藤沢清造」という無名作家に代わっただけだ。

さらには、アパートでは、「女」への暴力がやまない。「女」に執着し、彼女が逃げれば執拗に実家まで追いかける癖に、連れもどすと、小さなことから逆上し、「女」の髪をひきずり、殴り、蹴る自分を抑えきれない。


西村賢太という作家

西村賢太が描く「私」は、このような人物です。著者西村賢太は、容赦なく「私」の情けなさ、ずるさ、エゴイストぶりを暴いていきます。いかがでしょうか。みなさんは、こんな作品を読もうと思いますか。この小説を読んで、いい気持ちや楽しい経験をしようとおもっても無駄です(笑)。

しかし、武骨にグイグイと自分を追い込んでいくこの作家に、ぼくは惹かれました。最後に西村賢太のプロフィールを、単行本から移しておきます。

西村賢太:1967年7月、東京都江戸川区生まれ。中卒。2003年夏より同人雑誌に参加して小説を書き始め、2004年、「けがれなき酒のへど」が、『文学界』の下半期同人雑誌優秀作として同年12月号に転載される。同人雑誌退会後、『群像』ほかに創作を発表。刊行準備中の『藤沢清造全集』(全5巻 別巻2)を個人編輯。