ボブ・ディランが通算44枚目のアルバムを出しました。前作『ラヴ・アンド・セフト』から5年目になります。5年の空白を感じたかというと、やっぱり感じたことは感じましたけど(笑)、ここ数年ボブ・ディランの話題はにぎやかで、ロックを語るとき、やはりディランを無視できない、そんな存在感を強烈に感じました。
というのは、、、
■『ボブ・ディラン自伝』
まず『ボブ・ディラン自伝』が発売されました。これは全3部作の第1部です、ということですので、これから追って第2部、第3部が書かれていくのだと期待しています。時系列を無視して、デビュー以前の音楽修行時代が書かれているかと思うと、80年代以降極度のスランプに陥り、音楽を廃業することまで考えながら悩むディランの姿まで書き込まれています。あのディランが音楽廃業を考えたり、グレイトフル・デッドとのスタジオ・セッションのとき、自分の歌にどう魂を吹き込んでいいかわからなくなり、こっそりスタジオを抜け出し、このまま逃走してしまおうと考えたり、ファンには想像もしていなかったディランの苦しい内面が語られて興味深く読みました。ただ、時間系列の無視は読みにくいことは読みにくいです。
そして次に発表されたこの映画はびっくり!!!
■オリバー・ストーン監督『ノー・ディレクション・ホーム』
1965年、「ニューヨーク・フォーク・フェスティバル」で、ボブ・ディランはエレキ・ギターをかかえ、ロック・バンドを従えて演奏、観客から激しいブーイングを浴びました。その後ディランはファンの激しい反発を受けながらも、強固にロック・ビートを主体にしたライヴ・ツアーを展開していきます。アメリカだけではなく、イギリスのファンにもブーイングを浴びて……。
このことは伝説のようにむかしから語られていましたが、映像で見るとやっぱり衝撃的でした。よくぞ、こんな映像があったと思いますが、ファンの攻撃にあいながらも、自分の信念に向かって新しい音楽を創造していくディランには、感動しないでいられませんでした。
「ユダ!」という野次を浴び、「嘘つけ!」と返すディラン。それから、バックのギタリスト、ロビー・ロバートソンに、客席のブーイングを無視しながら、「もっとでかい音でやろう!」と不敵に笑うボブ・ディランはとてつもなくかっこいい! しかし、これほどまでにディランを攻撃したファンとは何なんだろう?
ディランに興味あるひと必見の作品です。
■ニュー・アルバム『モダン・タイムス』
『モダン・タイムス』といえば、チャップリンの映画と同じタイトルのアルバム。関連性はわかりませんけど、若いころ、小柄なディランが、ステージでコミカルに動くと、まるでチャップリンのようで可笑しかった、といわれていますから、あるいはディランのなかで、チャップリンはもともと親しみのある存在だったのかも。
先日毎日新聞の夕刊を見ていたら、「ボブ・ディランのニュー・アルバムが30年ぶりにアメリカで第1位」というニュースがでていて、うれしくなりました。30年前の作品とは『欲望』(右写真)ですが、これは「コーヒーもう一杯」や「ハリケーン」など、メロディアスなヒット曲が多くてなっとくがいくのですが、この『モダン・タイムス』には、ぼくにはNO.1をとる要素がもう1つよくわかりません。しかし、わかろうとわかるまいと、ボブ・ディランが今でもNO.1をとったニュースを見ると、「やった!」と叫びたくなるほどうれしいです。
買ってからまだ何度も聴いておりませんけど、サウンドは前作『ラヴ・アンド・セフト』を継承しているようです。音楽的には聴きやすいポップ感覚のもので(ディランにしてはですけど)、しかし、これは『ラヴ・アンド・セフト』もそうでした。
前作からそれほど変化したともおもえない『モダン・タイムス』がNO.1になった背景には、自伝や映画でボブ・ディランが再び脚光を浴びていることと関連性があるのでしょうか。
しかしこのアルバム、いつもながら「どこを切ってもディラン」で、こういうわがままな作品群は、売上を気にしていてはとうていつくれそうもない。そういう意味では、60年代も今もボブ・ディランの不敵な姿勢は変わっていません。
【注】:あとで訪問したらshiroppさんも、ボブ・ディランの『モダン・タイムス』について記事を書かれておりましたので、トラックバックさせていただきます。shiroppさんのブログはこちらへ