数日前に田沢竜次著『東京名画座グラフィティ』という新書本を読みました。タイトル通り、むかし東京のあちこちにあった名画座の思い出話です。
ぼくが名画座に通うキッカケになったのは、これもビートルズで、1964年にロード・ショー公開された『ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!』が、やがて二番館、三番館に落ちるようになると、新聞の映画欄(ちっちゃな案内欄がありましたですね)を見ては、その町の映画館を探し歩きました。埼玉に住んでいながら、東京の名画座だけは、少し人よりも詳しくなったのは、ビートルズのおかげでした。当時のプログラムでいいますと併映は、最初は『ウエスト・サイド・ストーリー』で、少しすると『サウンド・オブ・ミュージック』がおおくなりました。
ぼくはミュージカルは苦手で進んでは見ないのですが、『ヤア!ヤア!ヤア!』と併映されたおかげで、この2本だけは何度も見ています(笑)。その後、ビートルズの2本目の映画『HELP!』が抱き合わせになると、途中で退屈することがなくなるので、どちらも1度に2回ずつ見るのがあたりまえで、長い時間を名画座ですごしました。
池袋(なんといっても文芸座)、新宿、渋谷、銀座(並木座ですね)、早稲田、高田馬場、飯田橋(佳作座がありました)、大塚、自由が丘、中野、吉祥寺、大井町……高校生ですから映画以外ではほとんど用のないあの町この町へいきました。そして、段々にビートルズ以外の映画を目的にも、映画館へいくようになりました。ぼくは、心に残る大半の作品を名画座で見ているような気がします。ぼくには名画座=映画館でした。
そんなことで懐かしく読みはじめたのですが、ぼくなどは比較にならないほど、小学生のころから著者の田沢竜次さんは東京の名画座へ通いつめているので、おどろきました。ぼくがあげた町の映画館はもちろん、浅草、錦糸町、新橋、三軒茶屋、立川など……いったことのなかった映画館が続々と登場してきます。むかしは、そんなに町のあちこちに映画館が、名画座があったんですね。
田沢竜次氏は、映画館で見た映画は、町の風景や匂いとともに、記憶に残っている、と書いておりますが、たしかにその時代の自分が、ひとりで、あるときは誰かと、雑誌の地図を見ながら、町の映画館へ「旅行」して、その町で食べた定食や立ち食いそばの味も、作品のなかに染みついているような気がします。
今は町に名画座が少なくなりました。でも、ぼくは相変わらずいまも名画座通いを続けております。あのころの名画座に夢中だった思いが、映画を見る方法として定着してしまっているようです。できれば、映画は映画館で見たい……でも、それはなかなかむずかしい時代になりました。
東京や近県にお住まいでない方は、また違った町の名画座の思い出があるとおもいますが、東京周辺で、むかしあの町、この町の名画座に通いつめた方には、すばらしい思い出をプレゼントしてくれる1冊だとおもいます。