かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

「鈴なり」で飲む(2月11日)

熊谷の実家は両親が亡くなって無人になってしまったが、前の居酒屋「鈴なり」は、ママさん(60代かな?)の静かな人柄と破格の安さで、盛っている。毎日やってくる常連客もおおい。

ぼくも「鈴なり」でお酒を飲むのが、実家に帰る一番の目的になっている。

義妹(いもうと)とその息子さん二人(どちらも大学生)を話相手に飲んでいたら、「きょうは東京へいくのでうかがえません」といっていたYさんから、「東京から帰りました。いまからでよければうかがいますが」とメールがはいる。「待っています」と返事する。酒飲みの相手がほしくなってきたところだった。

義妹の下の息子さん(21歳)が『それでもボクはやってない』を見てきた、というのでしばらくその話をする。

まもなくYさんがくる。YさんはSF作家ディック*1の話から、人間は映画のように、自分で時間を早送りもスローにもできる。時間は一定のものでしかない、という思い込みはまちがっています。例えば、高いビルから飛び降りたひとが、自分の一生を落下するまでに回顧してしまう、というのはありえることなんです、そんなむずかしい話をしていた(笑)。

中学の同級生のKさんに電話したら不在。もう1度、時間がたってから電話したら(家電。このひとはケイタイを持っていない)、いま街で飲んで帰ってきたところだ、という。「体力残っていたら来ない?」と声をかけると、「じゃあいく」という返事があって、タクシーに乗ってやってきた。酒飲みが3人になる(笑)。

Kさんとは10代のころ、無頼派をきどって酒を飲み歩いた。餃子をつまみに、飲み終わったお銚子をずらっと並べ倒して、得意になっていた。どうしようもないバカだね(笑)。しばらく同級生の消息などを聴く。

義妹と二人の息子さんが帰ったら、その夫&父(つまりわたしの弟)が、行き違いに友人と二人でくる。

弟の同級生Mくんの子どもが血液の難病で、アメリカで手術を受ける費用7千万円をみんなして集めた。弟たちも駅に立って通行人によびかけたりした。その目標額が集まったので、慰労会にいってきたらしい。しかし、これで終ったわけではなく、手術そのものがむずかしいのだ、という。Mくんは、弟たちが大学生のころよく遊びにきた。Mくんは、ギターがうまかった。

弟たちが帰ると、またYさんとKさんと3人になった。それからは何を話したか、酔っぱらってわからない。最後に生ビールでカンパイして、二人はタクシーで帰る。

他のお客さんも帰り、ママさんと二人だけになったので、ママさんは冷酒、ぼくはビールを飲みながら静かに話す。

「おかあさんは、本当によくしてくれました」とママさんがいった。うちの母のことだ。母は「鈴なり」の大家さんだった。わがままな母だったが、ママさんは褒めてくれた。「みなさん、おかあさんを慕っていました。いなくなって、みなさんさびしがっています」

ひとり暮らしでさびしかった母は、ママさんとお店のお客さんがよく声をかけてくれるので、よろこんでいた。ママさんは、なにか調理すると、母屋に住んでいる母のところへ届けてくれたりした。

「うちの母はいつもママさんにお世話になっていることを感謝していました」……本当だった。「いいひとがお店を借りてくれて本当によかった、といつもいってました」

「もったいないことです」とママさん。

「ママさん、何かお店でやりにくいことがあったらいってください」とぼくはいった。

「ありがとうございます。でも、好きなようにやらせていただいてますから」とママさんはいった。

ビールを飲みほすと、ママさんに「遅くまですみませんでした」とお礼をいって、母屋へいく。部屋のあかりをつけるのも面倒で、暗いまま炬燵に倒れこんで、眠ってしまった。

*1:ディック=フィリップ・K・ディックのこと。