かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

再見!『暗夜行路』(1959年)

小説『暗夜行路』のこと

志賀直哉の唯一の長編小説。志賀はこれを着想から25年、書き出してから17年かけて完成させています。それほど年月をかけないと書けない小説かというと、全然そうではありません(笑)。細部の描写にこだわる志賀の作風が長編には向いていないこと、途中書き続けるのがめんどうになって投げ出していたこと(笑)……などで、これだけ長い年月がかかってしまいました。

小説の大意を書けば以下のような簡単なものです。

祖父と母の不義の子として生まれた謙作は、呪われた運命を乗り越えて幸せな結婚をするが、再び妻がいとこと過ちを犯したことで苦しむ。伯耆の大山山麓の蓮浄院に寄宿しながら、しだいにこころの平安をとりもどした謙作だが、重い病気(映画では、コレラ)にかかってしまう。

「助かるにしろ、助からないにしろ、わたしはこの人についていく」という妻・直子のこころのなかを描写して、この長編は終る。

しかし、志賀直哉の『暗夜行路』の魅力はこのスジのなかにはありません。長編『時任謙作』を書きあぐねていた志賀直哉は、ある夜「自分は祖父と母の子だった」という夢を見ます。まったくの妄想でしたが、それをストーリーにいれることで、長編を自伝ではなく、虚構化することに志賀の気持ちが切りかわります。つまりは、小説のスジの思いつきとしては、ほとんど必然性のない<いきあたりバッタリ的>着想であったわけです。

では、『暗夜行路』の前身『時任謙作』で志賀直哉がもともと書こうとしたものは、何であったかといいますと、志賀直哉が残した草稿で読む限り、以下のようなことでした。

  • 友人との確執志賀直哉は、武者小路実篤、里見弴など、白樺同人たちと、他に例のない中身の濃い友人関係をつづけていましたが、それだけに確執もはげしく、しばしば絶交を繰返します。『暗夜行路』の坂口が里見弴をモデルとしていることを志賀直哉自身は否定していますが、草稿を読めばそれが事実であったことがわかりますし、『暗夜行路』ではすっかり削られている武者小路実篤との確執も、志賀は草稿で「凶という字が頭のなかをかけめぐった」というような表現で生々しく描写しています。
  • 性欲の苦しみ志賀直哉は、10代から20代にかけて、激しい自分の性欲に悩みます。自分は異常ではないか、とおもい、時に針で自分の足のももを刺して、煩悩と闘ったことなど回想しています。初期の短編では『濁った頭』で、性欲の苦しみを描きました。志賀の初期作品の原動力は抑圧された性欲のエネルギーだった、ということもできます。強い性欲に苦しみ、やがて娼婦を買うようになる……そんな青春の彷徨が『時任謙作』には描かれています。謙作が見る異様な性夢など、一部『暗夜行路』のなかにも、「抑圧された性」の表現は、残されました。
  • 父との確執=これは、青年志賀直哉の大きなテーマでした。実業家として大成功し、志賀家に莫大な財産をもたらした父と、文芸というおよそ先のわからない非生産的な行為に夢中になっている息子とはまるで水と油のようにあいませんでした。そのことは、中篇『大津順吉』、短編『清兵衛と瓢箪』などにも描かれていますが、その集大成として『時任謙作』を完成させたかったようです。しかし、志賀直哉はやがて父と和解し、作品で父への「憎しみ」を描くことに嫌気がさしてきます。そのために『時任謙作』はテーマを変えて、生まれ変わる必要がありました。

『時任謙作』のテーマだった、友人や父との確執、激しい性欲の苦しみが、「不義の子」というわかりやすい要因に切りかわったため、スジはすっきりしましたが、失われたものもおおきかったはずです。

尾道で、志賀は、父や友人や放蕩と距離を保ち、ひとり孤独で暮らすわけですが、『暗夜行路』では、その悩みの理由を「不義の子」であることを知ったための苦しみ、と転換しています。安易といえば安易なストーリーの転換で、これを『暗夜行路』の大きな欠陥と指摘している、中野重治中村光夫のようなひともいます。

しかし、志賀直哉の、対象の核心をつかみだして、それを簡潔・的確に描く描写の魅力が『時任謙作』にはつまっていました。それが長編の放棄で失われてしまうところだったのです。

『暗夜行路』が必然性のないストーリーにささえられていようと、志賀直哉の美しい名文が、自伝から虚構に切りかわることで救出されたことに、ぼくはすごく感謝しています。つまり『暗夜行路』とは、そういう紆余曲折をへた作品でありました。

映画『暗夜行路』について

映画の話までに、だいぶ道草をしました。豊田四郎監督の『暗夜行路』がつまらないのは、このあまり必然性のないストーリーのダイジェスト版でしかない、そのことに尽きてしまいます。

この映画には、小説に描かれている青春の彷徨がありませんし、美しい情景描写の魅力もありません。映像表現なのに、です。

映画『暗夜行路』は、小説の欠陥ばかりを明らかにしています。志賀の精密な描写なしに描かれた『暗夜行路』はあまりにひとりよがりで、大時代的であり、生硬でした。それを要約しますと、謙作が、何かひとりで勝手に悩んで苛立っているへんな映画です(笑)。

小説『暗夜行路』の地の文にあった「なんといってもぼくを愛していたのは母だけでした」なんて言葉が、映画で、時任謙作の生のセリフとして出てくると、可笑しくなってしまいました。

志賀直哉を敬愛する小津安二郎は、この映画を「天に唾吐く行為」と酷評しています。

しかし、それでも映画『暗夜行路』をもう一度見たい目的が、ぼくにはありました。

きょねん訪れた尾道の、志賀直哉が滞在した3軒長屋が映像で復元されていました。6畳1間と小さな台所。きょねんぼくが見たままのあの部屋にいる謙作が映画に描かれています。

そして、まだぼくが訪れていない大山の景色、大山山麓の蓮浄院、が映像で映されています。ぼくは、いつか謙作がここでひとり暮らし、こころの平安を得る、その地を訪れてみたいとおもっています。映画『暗夜行路』は、先にそれを見せてくれました。