かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

伊丹万作と志賀直哉


【注】:tougyouさんの3月27日の記事のコメント欄に、tougyouさんとringoさんのお二人で、映画赤西蠣太についてのお話がありました。それについて、トラックバックさせていただきます。


伊丹万作(写真上)は、志賀直哉の「或る一頁」という短編小説を、「この作品は文字で書いた記録映画だ」と注目しています。伊丹は、対談で志賀直哉にこの作品について熱心に質問していますが、文芸評論家でも、この作品に触れたひとはありませんでした。

「或る一頁」は、志賀らしい主人公が、対立している父や、友人たちから離れ、京都で1、2ヶ月過ごそうとして、京都で下宿さがしをしますが、どうも体調が悪く、その日の夜また東京へ帰ってくる、というだけの小説です。

東京から京都までの交通がいまのように便利でない時代ですから、せっかく京都まで行って、日帰りは思い切った決断だったでしょう。いやになると一時も我慢できない志賀直哉のこらえ性のなさも作品にあらわれています。

この小説で、主人公は京都の町を、人力車で走ったり、むやみに歩いたりして、宿をさがしますが、そのあいだ、主人公の目を通して、町のなにげない風景や人物が、ストーリーとはまるで関係なく、次々描写されていきます。その現実をスパスパ切り取ったような文章表現の写実性に、伊丹は感嘆しています。


【写真】:映画「赤西蠣太」の1シーン

伊丹万作は、tougyouさんがおっしゃるように志賀の赤西蠣太」(1936年、日活)を映画化しました。主演は片岡千恵蔵です。作品としては、当時の映画的なウリで仕方ないのか、原作とは味わいのちがうチャンバラ作品になっています(志賀の原作もぼくはあまり面白いと思いませんが)。しかし、志賀はこの映画に特に失望した様子はありません。その後豊田四郎の「暗夜行路」がキッカケかどうか(実際に確認していません)、志賀は作品の映画化・ドラマ化を禁止してしまいます。遺言でも、「自作の映画化、翻訳はいっさい禁止」とされています。

志賀直哉によれば、「或る一頁」は、未完の中篇の一部だそうです。もし完成すれば、志賀直哉武者小路実篤、里見とんなど、白樺派の青春群像を描いた作品になった可能性があります。