かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

成瀬巳喜男が志賀直哉を撮っていたら?

ringoさんから、成瀬巳喜男についていろいろなひとがインタビューに答えているDVDを借りて見ました。成瀬巳喜男の奥さん、美術監督の中古智(ちゅうこ・さとる)さん、映画評論家の白井佳夫さんなど。それぞれにおもしろい話を聞くことができました。


その特集の最後で、成瀬巳喜男が、もっと生きていたら、どのような作品を撮ったろうか、ということが話題にあがっていました。


そのとき、テロップで、突然、成瀬巳喜男志賀直哉の作品を撮りたい、ということを周辺のひとたちに話していたらしい、と一瞬流れて、びっくりしました。


成瀬巳喜男志賀直哉……ぼくにとっては意外であって意外でない、二人の名前の結びつきです。


★★★


成瀬巳喜男は、描く家族のひとりひとりの経済的問題に厳しく眼を向けました。執拗にこだわり続けていた、といってもいいようです。子供の頃、行商の経験もあった林芙美子の原作を好んで映画化しました。林芙美子は、作品にほとんど金銭問題を描かなかった志賀直哉とは、好対照の作家といってもいいかもしれません。


しかしです、、、


志賀直哉の、一切の感傷を含まない厳しい人間観察に、さらに、さりげない日常を、グイッと刀で彫りこんだような直哉の鋭い描写に、成瀬巳喜男は惹かれことがなかったのだろうか。文章を何度も何度も削って削って、余分な描写、説明的な会話を極力排除した直哉の小説に、成瀬巳喜男が魅力を感じたことがなかったのだろうか。


そんな思いが、ずっと心の隅にありました。


テロップに<志賀直哉>という文字が出たとき、やっぱり成瀬巳喜男志賀直哉に関心があったのだ、映画にしたらどうなるだろう、そんな思いがあったのだ、と知って、なんだかうれしい気持ちになりました。


★★★


志賀直哉を心酔していた小津安二郎は、それゆえにか、志賀作品の映画化は慎重に避けていました。


伊丹万作は、志賀直哉の「ある一頁」を、記録映画の手本になると、直哉との対談で激賞しました。しかし、同じ志賀直哉の短編でも、「ある一頁」とは対極の純フィクションである「赤西蠣太」を映画化して、小説とはまったく別の活劇に仕立てていました。


成瀬巳喜男も、関心はあっても、文章ですでに完成されている志賀直哉作品を映画化するむずかしさは十分知っていたでしょう。だから、たとえもう少し成瀬巳喜男が映画を撮り続けていても、志賀直哉の映画化は、実現性の乏しい話だったとおもいます。


それを承知のうえで、もし<成瀬巳喜男志賀直哉作品を映画化したら?>と想像するだけで、ぼくはワクワクしてしまいました。


★★★


過去に映画化された志賀直哉の作品。

伊丹万作監督『赤西蠣太』(1936年)

★映画じたいは悪くありませんが、志賀直哉作品の味わいはありません。

千葉泰樹監督『好人物の夫婦』(1956年)

★残念ながらまだ見ていません。

豊田四郎監督『暗夜行路』(1959年)

★原作の話をただ追っただけの凡作。主人公の時任謙作がやたら深刻に悩んでばかりいるのが滑稽でした。