かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

本多秋五著『志賀直哉上下』(岩波新書)


1990年に発行されたこの本を再読。


大量の草稿、未定稿を丹念に読みこんでの作家論で、深く鋭い。


本多秋五志賀直哉論が信頼できるのは、対象を、自説に強行に引き込むことをせず、作家の側に寄り添うようにして、ていねいに論評していることだろうか。論評するひとの人柄とか誠意というものまで感じてしまう。それでいて、静かな語り口だが、斬り込む厳しさに、甘さはない。



その反対例としては、小林秀雄の「志賀直哉──世の若く新しい人々へ──」が思い浮かぶ。

氏(志賀直哉)は、思索と行動との間の隙間を意識しない。たとえ氏がこの隙間を意識するとしても、それはその時における氏の思索の未だ熟さない事を意味する。


(略)


氏にとっては思索する事は行為する事で、行為する事は思索する事であり、かかる資質にとって懐疑は愚劣であり悔恨も愚劣である。


この小林秀雄志賀直哉像で、懐疑や悔恨に無縁な作家としての志賀直哉像が長い間、定着する。小林秀雄の志賀論は、自説の強調のために、対象作家を強引に引き寄せている。痛快だが乱暴だ。


先の文章は、小林流のデフォルメで、いいたいことはわからなくはないが、志賀直哉が懐疑や悔恨に無縁でないどころか、神経衰弱に陥る寸前にまで病んでいた時代のあることを、本多秋五は指摘している。そこを飛ばして、小林のいうままに読んでしまうと、志賀直哉の全体像は見えてこないのでは・・・。


志賀直哉の神経衰弱的作品をいくつかあげてみると、こんなのがある。

  • 剃刀」:熱と鼻水がとまらずイライラしているとき、のんびり顔をそりにきた男の喉を、理由もなく剃刀でついてしまう床屋の主人を描いている。
  • 濁った頭」:青年は、いっしょに駆け落ちした女の存在が、段々にうとましくなり、どうにかしたい、というとき、畳屋が太い針で畳をブスブス刺す音を聞き、女の殺しを思いつく。
  • 児を盗む話」:踏切へ鳩が飛び込むので危ない、とおもうが、鳩が自殺するはずもなく、それは自分自身への警告だと気づく。精神の病んだ青年は、ついに少女を誘拐する。しかも、最初に芝居小屋で見た可愛い少女の代わりに、それほど好きでもない少女を誘拐する。誘拐が露見し、少女の母親と駐在がこちらに向かって走ってくるのを、青年は包丁を逆手にもって待ち受ける。


もちろん、小林秀雄は、こういった志賀直哉の病的な小説を、読んでいないはずはない。しかし、自説を展開する上では、あえて触れる必要がなかったのだろう。



本多秋五が『暗夜行路』を、「城崎にて」の拡大版と理解しているのも、なっとくがいく。このことを、本多秋五は本のなかで詳細に解説しているが、ここで詳しく繰り返す根気はない。


「城崎にて」は、大正2年の経験であり、そして志賀直哉がそれを実際に作品化しているのは、大正6年。この3年〜4年のあいだに、志賀直哉の内部に大きな変化が起こっていた。


「暗夜行路」に書かれたような大山での半死の体験も、このあいだの出来事だった。


城崎の動物たちの死を目撃した経験が、志賀の死生観として作品で結実していくのには、その後の大山体験も、大きく志賀の精神的変化に作用しただろう、という本多秋五の説は、わたしにはすんなりうなづける。



志賀直哉に、「好人物の夫婦」という短編がある。事実をそのまま書いたものではない。しかし、書かれている人物は志賀直哉夫妻に近い。場所のイメージは、我孫子で書かれていることからも、我孫子だろう。


静かな大正時代の我孫子手賀沼の風景を思い浮べながら読むと、書き出しから感慨深い。


それについて、本多秋五は、志賀直哉論からはずれ、思わず感嘆をもらす。この寄り道の自在さも、この本の魅力だ。

『好人物の夫婦』は、うまく書かれた小説だと思っていたが、読み返してみると、思った以上にさらにうまく書かれた小説である。冒頭の文句が殺人的である。


「深い秋の静かな晩だった。沼の上を雁が啼いて通る。」


たったふた筆で、寝静まった沼べりの村と、平和な家庭の空気とが、名画のように浮かび上がって来る。


「殺人的である」という表現がすごい。


でも、そうなのだ。この<ふた筆>のような「殺人的描写」を味わいたくて、繰り返し志賀直哉を読むのだ。