かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

森田芳光監督『椿三十郎』(上映中)


ぼくは最初にいってしまうと、黒澤映画のなかで、『椿三十郎』はそれほど好きな作品ではありません。前作の『用心棒』の主人公<三十郎>をそのままに「お家騒動」をからませていますが、どうも、主人公と物語のあいだに違和感があります。


この<三十郎>が活躍するのは、やっぱり空っ風の吹く荒涼とした宿場町にこそふさわしいような気がします。『用心棒』は、大好きな映画で、非情の<三十郎>は、町に有害な二つのヤクザ勢力を、わざわざコトを起して争わせ、どちらも絶滅させてしまいます。


『用心棒』は、甘いヒューマニズムのはいる余地のない、<三十郎>という非情に徹した素浪人の登場と寂寥感ある宿場の光景が一体になって、寂々とした寒気が伝わってくるようなすばらしい作品でした。


ところが『椿三十郎』の<三十郎>は、縁もゆかりもない若侍の助っ人を自ら買って出て、騒動の渦中にはいってしまいます。これは、非情に徹して、事件を高見の見物していた『用心棒』の<三十郎>とどうもあいません。


別に、2つの<三十郎>が、ぴったり重ならなければならないこともないのですが、「よく切れる刀は、さやの中におさまっているものです」なんて、安っぽい時代劇にありそうな教訓を、好きな黒澤明から聞くなんて、ちょっと失望してしまった記憶があります。



黒澤明監督『用心棒』



黒澤明監督『椿三十郎


★   ★   ★


しかし、やっぱり黒澤作品のリメイクというと見ないわけにはいきません。しかも、リメイクする監督が森田芳光となれば、凡庸な監督のリメイクとは、最初から志しが違っているはずだ、と見る前から期待が高まります。


ぼくにとっての森田芳光は、商業ベースの映画を創りながら、そこに独特な映画的個性を刻印することができて、人の思いつかない高いハードルにも挑む監督……そん印象があります。


それまで誰も撮らなかった夏目漱石の『それから』に挑戦して、美しい映像と抑制されたタッチで代助と三千代の<明治の恋>を描いたのも、森田芳光監督でした。



前置きが長くなりましたが、やっぱり森田版『椿三十郎』は、おもしろかったです。シナリオは同じものを使っていますから、ほとんど話に違いはありませんし、黒澤版で知っているシーンが次々登場してきます。


それでいて、「な〜んだ、黒澤明の焼き直しじゃねえか」というような気持ちにならないのがふしぎでした。目にみえるストーリーは同じでも、どこか映像やセリフ回し、演出に森田芳光のこだわりが生きていて、新鮮な作品にしているような気がしました。


最大の貢献は、やっぱり織田裕二の個性でしょうか。三船版のような重厚でない個性が、『椿三十郎』の春のような陽気にはあっているのかもしれません。織田裕二の<三十郎>なら、若者たちに同情して、助っ人を買ってでても違和感がありません。


衝撃のラストシーンを森田版は変えていました。


黒澤明のシナリオは、二人の決闘シーンの記述はごく簡単なもので、あとは演出で思考をこらして、あのようになったそうですから、森田芳光は、シナリオはそのまま借りても、演出はあくまで独自に解釈した、ということでしょう。


ワーナーマイカル大井にて