かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

近代文学館の「志賀直哉をめぐる人々展」を見る(10月30日)


志賀直哉宛書簡集 白樺の時代
個人タクシーの模擬試験を受けに、井の頭線の東大駒場前駅へいく。受付開始の14時まで1時間ほど時間があったので、散歩をかねて、近代文学館へ。


そこで、、、


まったく偶然だが、「志賀直哉をめぐる人々展」をやっていた。模擬試験がこの駅であった幸運をよろこぶ。


9月に「志賀直哉宛書簡集 白樺の時代」という本が刊行されて(知らなかった)、それと連動する企画だった。


会場の説明にもあるが、「夏目漱石宛書簡集」とか「芥川龍之介宛書簡集」とか「太宰治宛書簡集」というような本は存在しない。もらった手紙を、ひとつひとつ、長い間保存しているひとは稀だからだろう。


几帳面な志賀直哉は、相手の肩書きを関係なく、もらった手紙を大切に保存していた。それが志賀直哉の死後、大量の未発表原稿と一緒に発見された。


一度、岩波書店から刊行された『志賀直哉全集』にも、「志賀直哉宛書簡」として出版されている。それは以前目を通した。


今回の「志賀直哉宛書簡集 白樺の時代」は、そのなかに収録しなかったものを加え、志賀直哉の白樺時代の交流関係にテーマをしぼって、一冊に編集したものだという。


白樺派ほど熱く友人同士が交流した例は、少なくも日本の文学史にはないだろう。武者小路実篤は、「和して同ぜず」という論語の言葉を、よく色紙に書いたが、その精神は実際に白樺同人のあいだに生きていた。彼らは、妥協を嫌い、本音で言いたいことをいい、交流した。


里見弴は、連日友人がいりびたっているさまを、「友達耽溺」という言葉で表現した。


彼らは毎日会っているのに、家に帰ると頻繁に葉書を書いた。いまの携帯メールの感覚だろうか。今回陳列されているのは、その一部。


展示品を見る。


白樺同人からの志賀直哉宛書簡は、絵葉書や原稿などで書かれているが、年齢など関係なく、「ボク」と「キミ」なのが、いかにも白樺の自由な気風をあらわしている。


例えば6歳年下の柳宗悦は、志賀に<或る本>を探してくれるよう遠慮なくたのんでいる。13歳年下の友人も、対等で、「志賀君」とよんでいる。


文語体、口語体、まちまちだが、気取ったものはなく、いかに彼らの交流が自由で、遠慮なく、濃密だったかがわかる。


白樺同人以外の書簡もおおい。


志賀直哉を敬愛していた小林多喜ニは、原稿用紙に綴った長い手紙を出している。あるいは、本や雑誌を送って、遠慮のない感想を依頼する。刑務所の中から出されたものもあった。


小林多喜ニは、一度だけ奈良に住む志賀直哉を訪問したことがある。その後、そのよろこびを弾むように手紙に綴り、<また会いにいきたい>と書いている。しかし、多喜ニは官憲に捕われ、虐殺されてしまう。


志賀直哉は、「先生」と呼ぶことも呼ばれることも嫌った。だから尾崎一雄瀧井孝作も、小林多喜ニも、手紙のなかで「志賀さん」と呼んでいる。


同人では、武者小路実篤、里見弴、柳宗悦、木下利玄、長与善郎、郡虎彦、有島生馬など。さらに岸田劉生梅原龍三郎などの親しい画家からも。年下では小林多喜ニ、尾崎一雄瀧井孝作佐藤春夫広津和郎など。同時代の作家では谷崎潤一郎北原白秋など。


先輩格では、なんといっても夏目漱石の毛筆で書かれた流れるような筆跡が美しい。


見学はひとり。ゆっくり1時間くらいかけて見てまわった。


以前読んだ「志賀直哉宛書簡」の手紙の文章が頭をよぎる。心が、明治・大正の時代に飛んだ。なんと豊穣な人と人の交流だろう。


13時半になったので、急いで近代文学館を出て、駅の反対側にある模擬試験の会場へ向かった。