銀座テアトルシネマへ、荻上直子(おぎがみ・なおこ)監督『トイレット』を見に行く。
有楽町線の銀座1丁目駅から歩いて2分ほど。
映画をやっているのは、建物の5Fだが、1Fのエレベーターの前に列ができていたので、ひるんだ。
全部が5Fの『トイレット』を見る客ではないとおもうけれども、それにしても・・・チケットを買うときに、「あと40席ほどしかあいておりません。前のほうしかありませんが、よろしいでしょうか」といわれる。いつも前のほうで見るので、それはかまわない。
午前11時45分からの回。前から4列目の、右端から2番目の席を確保できた。席は、ほとんど埋まっていた。
都内では、銀座、新宿、渋谷の3館しかやっていない。あとは、ずっと都心を離れて、府中と立川のみ。だから、だろうけど、それにしても、こうしたあまり派手でない作品に、これだけのひとが集まるのは、うれしい誤算。
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『かもめ食堂』、『めがね』に続く荻上直子監督作品の3作目になる。DVDで見た『かもめ食堂』は新鮮だった。すっかりこの映画のファンになった。
だから、『めがね』は、上映されるとすぐに映画館へいった。ゆったりした味わいはよかったが、『かもめ食堂』の路線を踏襲した続編のような作品だった。
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『トイレット』も、これまでの荻上作品のようにゆったりとはじまる。
この家には、
プラモデルのオタクである<レイ>と、
引きこもりのピアニスト<モーリー>と、
エアギターが大好きな女子大生<リサ>と、
猫の<センセー>と、
英語を全然しゃべれない<ばーちゃん>が住んでいる。
レイとモーリーとリサは、3兄妹(きょうだい)。
ばーちゃんは、ママが日本から呼び寄せたが、そのママが死んでしまったので、3兄妹とばーちゃんをつなぐパイプが切れてしまった。ばーちゃんは、英語がわからないから、3兄妹の誰とも会話ができない。
そのせいか、ばーちゃんは、自分の部屋へこもったまま出てこない。出てくるのは、トイレへはいるときだけだ。トイレから出てくると、なぜか、ため息をつく・・・。
もたいまさこ演じるばーちゃんは、映画の全編をとおしてセリフがなく、あるシーンで一言だけしゃべる。この一言が、静かな映画のクライマックスになるけれど、それがおもいがけなくて、心を撃ってくる。
唐突だけど、『モダン・タイムス』ではじめて肉声を発したチャップリンを連想してしまった。
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猫の<センセー>が静かな自然の演技をみせる。
犬は、演技派だが、猫は自然派だ(笑)。その自然派のゆったりした味わいは、この映画を象徴している。<センセー>の動くさまを見ていると、じんわり心があたたかくなってくる。
この映画は、終始淡々としているか、というと、そうでもない。引きこもりのモーリーが弾くクラシックピアノの演奏や、リサが大好きな、エアギターの演奏シーン(ヘビメタがズンズン響く)では、突然画面が弾ける。
それぞれに問題をかかえた4人の<家族>が、どのように心をひらいていくか、という予定調和のものがたりなのに、安易な仕掛けやセンチメンタルな泣かせが、ない。
監督は、用意周到に、じっくり時間をかけて、その目的地まで歩いていく。荻上直子監督は、『かもめ食堂』から、この作品で進化したとおもう。
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映画が終わって、暗いところを出ると、次の上映を待っているたくさんのひとがいて、係りのひとが、「次回上映の席は売り切れました」といっている。
こういうすてきな作品は、もっともっとヒットしてほしい、みんなが見てほしい・・・そうおもいながら映画館を出た。
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『トイレット』で、もたいまさこの<ばーちゃん>が、ぎょうざをつくるシーンが出てくる。銀座をぶらぶら歩きながら、ぎょうざで一杯やりたいな、とおもったけれど、なかなか適当なお店が見あたらない。
結局、上野へ出た。ここのアメヨコ周辺は、昼間からあちこちで酒宴が展開している(笑)。
結局、ぎょうざではなく、いつもの、立呑み「たきおか」へ寄って、一息つく。