ノグチさん主催の「ビートルズ・ティー・パーティ」へ参加するため、護国寺駅へ。すこし早めにきて、護国寺の境内を散歩する。
本堂へはいると、天井に描かれた仏画や、壁にかけてある絵馬がおもしろくて、しばらく眺める。もっと奥へはいると、暗い小部屋にこぶりの仏像が並んでいた。なにもわからないクセに、仏像を見ているのが好きだ。
ringoさんと待ち合わせて、ラーメン屋でお昼。成瀬巳喜男監督の『秋立ちぬ』と『驟雨』の録画DVDを借りる。
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12時半よりティー・パーティ開始。ノグチさんのビートルズへの造詣の深さは、お話をきくたび、感心するばかりだ。なにげない話のなかに、はじめて耳にするエピソードがまじっている。
蓄音機でエルヴィスのSP盤を聴いたり、イギリス盤、日本盤のビートルズのレコードを聴き比べたり、自分ではめんどうでやったことのない実験を体験させてもらう。
わたしは、ビートルズが現役だった60年代は日本盤以外の存在を知らなかった。いまあらためて英国の原盤と聴きくらべると、日本盤は、音が貧弱なのを知った。しかし、知らぬが仏で、当時そういうものたりなさをかんじたことはない。
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後半は、ビートルズをリアル体験したひとの座談会。会田さん*1、橋本さん、ringoさん、ビーテツさん・・・これには、わたしも加えてもらった。
ひとりひとりのリアル体験をもうすこしゆっくり聞きたかったが、時間がきてしまう。
わたしは「ヤア!ヤア!ヤア!」を60回か70回か、あるいはもっと見ているかもしれない(笑)。しかし、あのころはそれほどめずらしいことではなかった。1回映画館へいくと、2回か3回見るので、30回や40回見たひとは、当時ごろごろいたのではないか、とおもう。
60年代、映画館で「ヤア!ヤア!ヤア!」を見るのは、ビートルズに会うためだった。コンサートのおっかけをやるように、ビートルズの映画を、ロード・ショーから二番館、三番館、フィルム・コンサートと、おっかけた。日本には、まだビートルズの映像がすくなく、動くビートルズを見るには、「ヤア!ヤア!ヤア!」しかなかった*2。
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ビートルズの武道館コンサートは、会場へはいるまで3回か4回、チケットのチェックがはいった。お濠の周囲を警官もしくは機動隊が警備していて、最初は、お濠からなかへはいる前にチェックされる。だから、チケットのないものは、武道館の会場へ近づくこともできない。
松本隆監督の『微熱少年』で、主人公が、彼女と自分の2枚のチケットを持って、武道館の時計台のある付近で、彼女の来るのを待っているシーンがある。しかし、結局彼女は来ないので、主人公はビートルズのコンサートを見ないで、とぼとぼ帰っていく。
チケットを2枚破棄して、ビートルズを見もしないで帰っていく主人公に、すごく腹が立った。抽選にはずれ、チケットを入手できないまま、家出同然で東京へやってきたファンがどれだけいたか。彼女たちは、武道館へ近づくこともできなくて、泣いた。
恋人を得るためにチケットを入手した主人公は、彼女が来ないので、ビートルズを見ようともしないでチケットを破って、帰っていく。
バカやろう!・・・とおもった。おまえ、ビートルズと女のどっちが大事だ!(笑)。
松本隆監督は、主人公の失恋シーンをラストにつくったつもりでいるが、武道館の厳重なチケット検閲を忘れている。
現実的にみれば、彼女は、彼のところへ行きたくてもチケットがないと、お濠からなかへはいれなかった、ということになるのだ。
ビートルズ来日の細部を正確に伝えていくためにも、きちんと検証してほしかった。
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当日整理して話のできなかったことをここに補足として書いてみたが、ビートルズをめぐるひとりひとりの想い出を、もうすこしみなさんから聞いてみたかった。
お寿司屋さんのご苦労さん会では、ノグチさんの親戚の方と、ビートルズ、ウイングスのことから、ポールやジョージの来日話まで、40年を一気にかけめぐって盛り上がり、たのしい時間をもてた。