ビートルズの来日の記憶・・・だんだん自分の記憶と、あとになって見た映像や知識がごっちゃになって、事実なのか思い込みなのか判別があやしくなる。
もっと早くビートルズの来日のことについてブログに書いておこうと思ったけれど、いつも書き散らしになってしまう。ビートルズ・ファンにお会いしたとき、しばしば「ビートルズの来日公演をごらんになったんですよね。どんなことを憶えていますか」と質問される。
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ビートルズが大好きで大好きで、当時「朝昼晩にビートルズ、食前食後にビートルズ」という、ビートルズ120%の高校生活をしていた。
そのビートルズがやってくる!・・・にわかには信じられなかったが、でも、1966年6月29日の早朝、ビートルズは台風といっしょに本当に日本にやってきたのだ。
その台風のために、ビートルズの日本到着時間は、予定より大幅に遅れた。到着したのは、明け方午前3時49分だという。翌日学校のある平日だから、さすがにそれまで起きてられない。朝早く起きると、一番にテレビをつけて、ビートルズが本当に日本にやってきたことを確認した。
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いろいろなことが頭をよぎる。整理するのがむずかしい。思い出すことを箇条書きにしておこう。
- チケットは抽選であったこと。組織票は無効といわれていたので、正直な高校生は、親戚・友達の住所名前を借りてハガキを13枚出して、1枚当たったこと。
- 政治番組で、オバマ・リトクとホソカワ・リュウゲンという政治評論家が、ビートルズだかペートルズだか知らんが、あんな乞食芸人に伝統ある日本武道館を使わせるのはけしからん、と言い出して、さらに当時の佐藤首相がそれに賛同。それから、日本中でビートルズ叩きがはじまり、一時「ビートルズに日本武道館は使わせない」と、読売新聞の正力松太郎が言い出したこと。
- 厳戒態勢のなかのコンサートだったので、<武道館のお堀を渡るとき><門をくぐってから><会場へはいるまえ>と、たしか3回くらいチケットのチェックを受けたこと。お堀の前は、警備隊がずらっと並んで、ファンの侵入を警戒していた。
- アリーナは、警備員だけで観客席なし。2階の観客席わきの通路にも、体育会系の警備員がずらっと並び、ファンを監視している。立ち上がったり、垂れ幕をあげると、すぐに駆けつけて、強硬にすわらせたり、垂れ幕をとりあげたりする。
- ビートルズが登場する前の前座が長くて、待ち遠しかったこと。
- ビートルズのサウンドは、全体にレコードよりもテンポが遅く、音はスカスカで、うまいへたというようなことよりも、これがレコードとは違うライブ演奏なんだな、ってすごく感動したこと。
- 4人を均等に見たいので、オペラグラスで焦点をあわせるのですが、手がふるえているのか、なかなかピントがあわなかったこと(笑)。
- ポールが、一番元気に歌って演奏しているように見えた。
- リンゴはちょっと不機嫌で、ほとんどリズム・キープに徹していた。
- ジョンは、このコンサートは静かで、最後の「アイム・ダウン」ために用意されてあったオルガンを使わなかった。
- リンゴが「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」をドラムを叩きながら歌っているなか、シンバルを叩いているほうのスティックを落としたので、ハッとした。しかしリンゴは一向にあわてず、バスドラの上にある代わりのスティックを持って、歌も演奏も切らさず継続したので、「さすがプロだなあ」と感心したこと。だから、観客の多く、前のマイクでコーラスをつけているジョンとポールも気がつかなかったかもしれない。ジョージだけが、やっぱり後ろを向いて笑っていた。
- ビートルズの演奏は、約35分。当時の相場とはいえあっという間に終わってしまい、しばらく感動して、席を立てない。私の隣の席の女の子たちは、ふたりで抱き合って泣いていた。それがとても可愛らしくおもえたこと。
- その後、ビートルズの日本公演はうるさくて演奏が聴こえなかった、という記事や、実際にそういうことをいうひとをたくさん見かけたが、演奏はよおく聴こえた。
ビートルズの音楽に関心のないマスコミや文化人、ただ話題性につられて武道館にいったひとには演奏が聴こえなくて、ファンには聴こえた、というリトマス試験紙のようなふしぎなコンサートだったこと。
それにしても、記憶はあいまいになっていく。47年も経ってしまった。もうすぐあれから半世紀だもの(笑)。