かぶとむし日記

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斎藤明美著『高峰秀子との仕事(2) 忘れられないインタビュー』

高峰秀子との仕事〈2〉忘れられないインタビュー

高峰秀子との仕事〈2〉忘れられないインタビュー


成瀬巳喜男生誕100年であった2005年、いろいろな成瀬巳喜男作品を見た。はじめて見るものも、見直したものもある。そしてますます成瀬巳喜男監督の映画が好きになった。


映画を見る以外にも、成瀬巳喜男監督の映画にかかわった俳優やスタッフの本やインタビューが目につくと読んだ。


そのなかで、もっとも印象深いのが、『キネマ旬報2005年9月上旬号』に掲載された高峰秀子のインタビューである。聞き手は、『高峰秀子の捨てられない荷物』を書いた斎藤明美さん。


図書館で発見し、飛びつくように読んで、相変わらずのこの二人の息の合ったような合わないような(もちろん、実際は合っているのだけれど)インタビューを、なんどか笑いながら、読みきった。


ぶっきらぼうな回想だけど、やっぱり高峰秀子だけしか語れない成瀬巳喜男への貴重な証言があって、強く記憶に残った。



最近このキネマ旬報のインタビューを読み返したいとおもい、インターネットでバックナンバーを探していたら、この『高峰秀子との仕事(2) 忘れられないインタビュー』に収録されているのがわかったので、Amazonに注文した。もう1冊の『高峰秀子との仕事(1)初めての原稿依頼』もいっしょに。


2冊続けて読んだが、斎藤明美節とでもいうようなものがあって、一気に読まされてしまう。そしてやっぱりおもしろい。



高峰秀子は、成瀬巳喜男生誕100年のイベントへの参加、執筆、インタビューを全部断る。それは徹底していて、迷いがない。


それがなぜ斎藤明美さんによって実現することになったかは、本のなかで背景が詳しく書かれている。



成瀬巳喜男の映画を語るのに、高峰秀子の存在を欠くことはできない、と決心し、斎藤明美さんは、インタビューの依頼状を送り、そのあとで、高峰秀子に電話する。


以下そのやりとりを一部引用する。

「面倒臭い」、電話に出た高峰は、開口一番言った。「生誕百年だろうと五十年だろうと、私には関係ない」と。それでも私はくいさがった。


「いろんな女優さんが成瀬監督について語っていますが、成瀬巳喜男というすぐれた映画監督を誰よりも理解しているのは高峰秀子じゃないですか。死んでるならともかく、高峰秀子はその肉体同様、知力も記憶力も極めて健在です。その高峰秀子が語らずして、何の生誕百年かッ。高峰秀子が語ってこそ意義がある」


「意義って、何の?」
「な、何のって・・・。もちろん日本映画史のですよ。いくら成瀬巳喜男が名匠でも、女優・高峰秀子がいなければ、『浮雲』も『乱れる』も『女が階段を上る時』も生まれてない。高峰秀子は生きる映画史ですよッ」
「興味ない」
──。私は全身の力が抜けた。そして思わず素に戻った。


かあちゃん高峰秀子のこと)はほんとに変った人だね」
「そぉ?」
「うん。今までも変った人だと思ってたけど、今改めてつくづくそう思う。『面倒臭い』は私にも理解できる。でも『興味ない』って・・・。恐らく誰も理解できないと思うよ」
「そうかね」
高峰秀子は愉快そうでさえある。
「いいですか。高峰秀子が残した仕事は日本映画の宝ですよ。その五十年の輝かしい業績に対して『興味ない』って・・・」
半分独り言になっていた。


その時、高峰が言ったのだ。
「成瀬さんが(その仕事)いいと思って、私もいいと思った。それでいいんだよ」
この人はなんという人か──。もうこれ以上私が何か言うのは失礼だ。それが全てだ。


高峰は続けた。
「成瀬さんと私の間には誰も立ち入ることができない。成瀬さんと私にしかわからない・・・。だから成瀬さんが死んだ時、あぁ私も終わった、私という女優が終わったと思った」


私は気押されたように、ただ聞いていた。高峰秀子の、その少し錆びたような老いた声とあまりにも静かな語り口を、自分の耳で受け止めるのが精一杯だった。
「成瀬さんへの最大の賛辞だね」
「そうだね」
と高峰が答えた。




注】読みやすいように、行間を適時空けています)


この電話の依頼がキッカケに、高峰秀子の、成瀬巳喜男についてのインタビューが実現する。


あとは直接読んでください。おもしろいですよ(笑)。