かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

住井すゑ『わが生涯』(聞き手=増田れい子)



以前散歩の途中古本屋さんで買って、ずっと積読になっていた住井すゑへのインタビュー本『わが生涯〜生きて愛して闘って』(購入価格350円)をやっと読了した。


住井すゑさんが92歳のときのインタビューで、聞き手の増田れい子さんは、住井すゑさんのお嬢さん。



二十代のころ、住井すゑの『橋のない川』を読んだ衝撃は、忘れられない。第1部から第6部までを一気に読んだ(第7部はあとで出たので、リアルタイムで読んだ)。


橋のない川』から、社会構造の不合理を教えてもらった。


中沢啓治著『はだしのゲン』を読んだときも、これに似た強い感動があった。根底には、どちらも社会の不合理、差別への怒りが貫かれていて、それがぢかに心を撃ってくる。



はだしのゲン』が、島根県松江市の小学校の図書館で、開架式の書棚から子供たちが直接手にとれない閉架式へ移されたというニュースを聞いたとき、やっぱりこういうことをやるひとがいまでもいるんだな、と改めておもった。敗戦から69年経って、すこしは日本人も変わったと思いたいけれど、甘かった。


最近では、


「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」


と、さいたま市大宮区の女性が詠んだ句が、公民館を管轄する市生涯学習総合センターの小川栄一副館長によって、月刊「公民館だより」への掲載を拒否された、というニュースが話題になった。まるで、戦前か戦時中の出来事みたいだけれど、時代が悪くなると、こういうひとが増えてくる。



そういうなかで、住井すゑさんの「人間みな平等」への強い意志を読んでいると、清々しい気分になる。


住井すゑさんは、「天皇制があるから、被差別部落がある。人の上にひとを作ることと、人の下にひとを作ることの構造はひとつ」というようなことを明解に語る。当たり前だが、人間が平等ならば、人の下にひとがあってもいけないし、人の上にひとがあってもいけない。


橋のない川』と『はだしのゲン』の根底に共通に流れているのは、この思想だろう、とおもう。


『わが生涯』を読むと、戦前、戦中、戦後を、「人間みな平等」の精神を曲げることなく、言いたいことは言い、書きたいことを書いた、住井すゑさんの不屈の精神に感動してしまう。



8歳の住井すゑさんの心をとらえたのは、幸徳秋水大逆事件で処刑されたことだった、という。長いけど、本文を引用してみると・・・。

住井:(略)幸徳事件、世にいう大逆事件が報じられたのは一九一〇年、明治四三年五月末ですよね。わたしは当時小学校の三年生、その一学期。


大逆事件というのは知っての通りデッチあげだったのだけど、明治天皇暗殺をはかったということを口実に社会主義者無政府主義者つまり反明治政府、反権力反戦の人たちを検挙弾圧したわけね。幸徳秋水はその中心人物として六月一日に逮捕され、翌年の一月二四日に死刑になる。


校長がこの事件を朝礼で話したのは幸徳秋水が捕まった直後で、いまもありありと覚えている。こういう話だった。


幸徳秋水、名は伝次郎という悪いやつが、おそれ多くも天皇陛下に爆裂弾を投げつけようとした。もし天皇陛下がそのためにおかくれあそばすようなことがあったら、たちまち日本は暗闇になる。この幸徳秋水は、この間の日露戦争(1904-05年)のときも、戦争はしてはならん、人間は殺しあってはならんと言って、天皇陛下がやれと仰せられている戦争に反対した。戦争に反対した幸徳とその一味は不忠の臣、国賊である」


校長はここで一と息ついて後段に入ったの。


「この幸徳という男は、日本中のカネ持ちからカネを奪いとって貧乏人に分けようなどという、とんでもないことを考えたり言ったりしている悪いやつだ」


でもわたしは、この校長の言うことは間違ってる。幸徳というひとの言うことはいいことだと思ったですよね。


この、校長が幸徳秋水について語る朝礼のシーンは、「わたし」を主人公の誠太郎に置き換えて、『橋のない川』の重要な場面として描かれている。そして、少年の誠太郎は、生涯「幸徳秋水、名は伝次郎」を、心の師として生きていく。



『わが生涯』が発刊されたのは、1995年。1997年に住井すゑさんが亡くなってしまったので、この時点で執筆中とされている第8部は、完成していない。