朝起きたら、ふくらはぎが筋肉痛を起こしている。源氏山ハイキングの後遺症だ。
大船へ1泊したのだから、朝一番で大船観音を見ていこうと、8時にチェックアウトしたら、大船観音の拝観は9時からだった。
駅のコーヒー・ショップで、西田征史(にしだ・まさふみ)作『小野寺の弟・小野寺の姉』(幻冬舎文庫)を読みながら拝観時間を待つ。
仲のいい姉弟(きょうだい)のなんでもない日常を描いてこれだけおもしろく読ませるんだから、すごい。まもなく映画も公開される。原作も脚本も監督も、すべて西田征史。出演は、姉さんが片桐はいり、弟が向井理。たのしみな1本。

- 作者: 西田征史
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/10/24
- メディア: Kindle版
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むかし逗子の親戚へいくという小学生のわたしを、熊谷に住む伯父さんが、軽トラで熊谷から逗子の親戚まで乗せていってくれたことがある。道路が混まないように深夜暗いうちに熊谷を出発した。大船あたりで夜が明けてくる。トラックの荷台に仰向けになって、星が消え夜が白んでいくのを見ていた。その時、にゅうと大きな大船観音の頭部が目の前に現れた。
大船観音を見ると、いまでもその時のことを思い出す。
入口でお金を払って、石段の下へいくと、大きな観音の白い頭部が見えた。大船観音の特徴はやっぱり破格な大きさだろうか。
●石段の下に立つと、大船観音の頭部が見えてくる。
観音の裏をひと回りして、奥へまわると「原爆慰霊碑」がある。「原爆の火」という石碑には、以下の文章が刻まれている。
一発の原子爆弾によって、数十万人の広島市民を焼き尽くした”怨念の炎”は、いまなお福岡県星野村で燃えつづけている。
未来永劫、平和を願う”原爆の火”として、その火をこの塔に採火した。
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電車で鎌倉駅へ向かう。
八幡宮の境内をひと回りして、国宝館を見る。
出て、来迎寺に寄る。さらに奥に、今回もうひとつの目的だった西御門の旧里見弴邸の前までいく。
いまは個人所有の家になっているので、通常はなかへはいれない。入場できるのは月曜日のみ、とわかっていたので、洋館の外観だけ写真に撮らせてもらう。
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荏柄神社を見て、その前の茶屋で、おでんをつまみにビールを飲んで小休止。ここから大塔の宮→瑞泉寺のコースへいくか(10〜20代のころは、誰かを連れてよくこのコースを歩いた)、杉本寺→浄妙寺コースを歩くか迷ったが、観光客の多そうな大塔の宮コースを避けて、杉本寺へ向かう。
鎌倉最古の寺という杉本寺は、石段を登っていかなければならない。またふくらはぎに弱い痛みが走る。がんばって上り、石段の両脇に続く「杉本観音」の<旗旗旗旗旗>を写真に収める。
浄妙寺は、その離れに、原節子が引退後、長らく過ごしたところとして、知られている。いまは、すでにどこかの老人施設に移っているという話も何かで読んだが、定かでない。永遠の美女は、いまなお謎に包まれている。
●浄妙寺の山門。
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路線バスで鎌倉駅へ引き返す。小町通りの<人人人人人>のあいだをぬけて、日本画の鏑木清方(かぶらぎ・きよかた)記念館と、川喜多映画記念館を見る。川喜多映画記念館は、「吉永小百合 映画女優」という企画展をやっていて、これまで出演した映画のポスターがいっぱいはってあった。
1960年代のはじめ、浦山桐郎監督『キューポラのある町』を見て、吉永小百合のファンになった。この映画の舞台は埼玉県の川口市だったので、埼玉生まれのわたしには、身近に感じられた。当時熊谷の中学生だったが、川口まで映画の舞台らしきところを探しにいったことがある。が、結局なんの知識もないので、どこでどのシーン撮影されたのかよくわからなかった。
川喜多記念館の警備員さんに、「小町通りを歩かないで、鎌倉駅までもどる道はありますか」とたずねると、親切に住宅街をぬけていく道を教えてくれた。