『東京物語』。
4月11日㈫に見た「生誕120年 小津安二郎展」(神奈川近代文学館)の続き。
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『麦秋』の次に製作されたのは、小津安二郎の代表作とされる『東京物語』(1953年公開)。
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上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、親と子、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。
(「ウィキペディア」から)
尾道に住む老人夫婦(70歳くらい?)は、念願だった子供たちの住む東京へ行く。
町医者の長男夫婦、美容院をやっている長女夫婦、他に、戦死した次男の嫁が、東京に住んでいる。
楽しみにしていた東京訪問だったが、長男も長女も目の前の生活が忙しく、両親を東京見物に連れて行くゆとりもない。
戦死した次男の嫁(紀子)が、会社を休み、はとバスに乗って、東京を見せてくれた。
長男と長女は、家で待遇するのは大変なので、お金を出し合い、両親を熱海の温泉旅行へ送り出す。
しかし、泊まった隣りの部屋で、麻雀の音や若者たちの笑い声が朝まで続き、眠れない。両親は、一泊しただけで、熱海を出てしまう。
行き場を失った老夫婦は、次男の嫁・紀子を訪ね、母のとみはそこへ泊めてもらうことになるが、狭いアパートなので、ふたりが泊まるのはムリ。
父の周吉は、東京にいる同級生を呼び出し、泊めてもらうつもりだったが、お酒を飲んで話をしているうちに、そんな家内状況ではないことがわかってくる。
むかしの同級生たちも、子供たちとの間は、何やらギクシャクして、それぞれ悩みを抱えているのだった。
子供たちを訪ねる東京の旅は、老夫婦が想像していたものとはちがっていたが、子どもたちは、なんとか一生懸命やっているーー「欲をいえばキリがない。わたしたちはまだいいほうじゃよ」と、いいながら、ふたりは尾道へ帰っていく。
(その後も物語はクライマックスへ向けて進むが、興味がありましたら、実際の映画で確認してください)
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過剰な演出をしない。登場人物は激しく感情を露出しない(唯一、杉村春子は泣いたり怒ったりするが)。実際に、人間は、ほどほどのところで自分の感情をコントロールするものだ、と、『東京物語』はわたしに教えてくれた。
展示場にあった小津安二郎の言葉をパンフレットから引用すると、
ただ親子の関係を否定も肯定もしないで、ありのままに書いてみよう、いいとか、悪いとかでなしに親孝行しなければ‥‥と感じてくれたなら、作者としては満足でないかと思っていた。
(略)
一番当たらずさわらずのところで人を感動させることに意義があったので。撮影の苦心としても余り演技を誇張しないで、感じを下目におさえてみた。
(「例えば豆腐の如く」から)
封切り当時(1953年)、『東京物語』は、「キネマ旬報ベストテン」で第3位だった。
その後も、海外の映画祭などで話題にされることが多かった。
ひときわ大きな話題が持ち上がったのは、2012年。
10年に1回発表される英国映画協会『Sight&Sound』誌の、「映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン」で、『東京物語』が、世界の名画を抑えて、第1位になったのだ。
同年、「批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン」でも、第3位に選ばれている。
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2012年「映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン」
- 1)東京物語(監督:小津安二郎)
- 2)2001年宇宙の旅(監督:スタンリー・キューブリック
- 2)市民ケーン(監督:オーソン・ウェルズ)
- 4)8 1/2(監督:フェデリコ・フェリーニ)
- 5)タクシー・ドライバー(監督:マーティン・スコセッシ)
- 6)地獄の黙示録(監督:フランシス・コッポラ)
- 7)ゴッド・ファーザー(監督:フランシス・コッポラ)
- 7)めまい(監督:アルフレッド・ヒッチコック)
- 9)鏡(監督:アンドレイ・タルコフスキー)
- 10)自転車泥棒(監督:ビットリオ・デ・シーカ)
(注:(2)と(7)は同数)
「批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン」
- 1)めまい(監督:アルフレッド・ヒッチコック)
- 2)市民ケーン(監督 :オーソン・ウェルズ)
- 3)東京物語(監督:小津安二郎)
- 4)ゲームの規則 (監督:ジャン・ルノワール)
- 5)サンライズ(監督:F・W・ムルナウ)
- 6)2001年宇宙の旅(監督:スタンリー・キューブリック)
- 7)捜索者(監督:ジョン・フォード)
- 8)これがロシアだ(監督:ジガ・ヴェルトフ)
- 9)裁かるゝジャンヌ(監督: カール・テオドール・ドライエル)
- 10)8 1/2 (監督:フェデリコ・フェリーニ)
(2022年の同ベストテンでは、「映画監督が選ぶ」でも、「批評家が選ぶ」でも、第4位に選ばれている)
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小津安二郎は、住まいを鎌倉へ移してから、鎌倉文士との交流が活発になる。
とくに、里見弴とは飲み仲間としても交流。ふたりの関係から生まれた映画として『彼岸花』(1958年公開)と『秋日和』(1960年公開)がある。
どちらの映画も「原作・里見弴」とクレジットされている。しかし、これは里見弴と小津安二郎で大まかなスジを決めておいて、里見は小説で書き、小津と野田は脚本を起こすーーそういう決まりごとのうえで作られた作品。
小津安二郎は、『晩春』の原作を「広津和郎『父と娘』より」とクレジットしている。が、じつは里見弴の『縁談窶(やつ)れ』もヒントにしていた、という。
その恩返し(もしくは慰謝料、笑)に、原作料を里見弴にプレゼントしたのかどうか、詳しくは知らないが。
そして小津安二郎は、長年敬愛していた志賀直哉とも知り合えた。志賀は、里見弴の旧友だった。
(注:最近、里見弴の『彼岸花』、『秋日和』、『縁談窶れ』を含む文庫が、中央公論から出ました。それから里見弴が、若き日の志賀直哉との交流を描いた作品集『君と私ー志賀直哉をめぐる作品集』も5月25日に刊行されるようです。どちらもKindle版アリ、なので喜んでいます)
左、里見弴。小津は、里見弴文学の会話のうまさに感心している。
左、志賀直哉。小津は、志賀直哉の文学を「洗い上げた美しさ」と評した。
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『秋刀魚の味』が、小津最後の作品になる。
『秋刀魚の味』(1962年公開)
内容的には、『晩春』に似ている。原節子が娘役をやるには年齢があわなくなったので、娘役は岩下志麻。
こんな小津安二郎の言葉が添えられていた。
人はうれしいからといって、うれしい顔つきをするものではない。人間の表情は、それほど単純ではありませんよ。俳優さんたちに「つくった表情」はできるだけやめてもらって、人の言葉に対する微妙な反応、セリフの間合いなどで、感情を表現してみたのです。いきおいクローズ・アップが多くなりました。
(「ますます枯淡に」から)
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小津安二郎は、1963年12月12日に60歳で亡くなっている。
展示の解説文を写すと、
一九五五年二月には映画界初の芸術院賞を受賞し、かつては活動屋とよばれた映画製作が芸術として認められたことを喜んだ。一九六二年、母を亡くし、ひとり暮らしとなった翌年、右頸部にできた腫物が悪性腫瘍と発覚し治療が始まる。がんであることを伏せたまま、佐田(啓二)夫妻は献身的な看病を続けるが、壮絶な闘病の末、六〇年の生涯を閉じた。
もうひとつ小津安二郎の有名な言葉をパンフレットから引用して、オシマイです。
ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う(略)。
(「酒は古いほど味がよい」から)
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帰り、近くにある『大仏次郎記念館』に寄る。
わたしが読んだ大仏次郎作品は、子供向けに書かれた鞍馬天狗シリーズ。アラカン(嵐寛寿郎主演)の映画をきっかけに、小説も夢中で読んだ。