かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

中川龍太郎監督『わたしは光をにぎっている』を見る(11月25日)。

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11月25日、月曜日。


川越を出て、新宿武蔵野館へ、中川龍太郎監督松本穂香主演『わたしは光をにぎっている』を見にいく。


映画は、11時55分から。少し時間があったので、近くの「ルノアール」へ寄って、山内静夫著『松竹大船撮影所覚え書 小津安二郎監督との日々』を読む。


先日読んだ『八十年の散歩』は、山内静夫が父・里見弴のことや自分の日常に感じたさまざまな想いを書いた本だった。正直なところ、わたしは、里見弴以外のところは適当にとばした。


こちらは山内静夫が入社した「松竹」という映画会社の発展と衰退の歴史、小津安二郎監督のプロデューサーをつとめ、そこで見たもの、感じたものなどを記した本。わたしは、古い松竹映画が好きなので、興味深く読めた。


11時55分から『わたしは光をにぎっている』を見る。




松本穂香が主演!映画『わたしは光をにぎっている』予告編



亡き両親に代わって育ててくれた祖母・久仁子の入院を機に東京へ出てくることになった澪(みお)。都会の空気に馴染めないでいたが「目の前のできることから、ひとつずつ」という久仁子の言葉をきっかけに、居候先の銭湯を手伝うようになる。


昔ながらの商店街の人たちとの交流も生まれ、都会の暮らしの中に喜びを見出し始めたある日、その場所が区画整理によりもうすぐなくなることを聞かされる。その事実に戸惑いながらも澪は、「しゃんと終わらせる」決意をするー。




(公式サイトから)
http://phantom-film.com/watashi_hikari/


中川龍太郎監督は、1990年1月29日生まれの若い監督(29歳)。しかし作風は、いい意味でとても落ち着いている。独特のスタイルをもっている。


これまで見た作品は、朝倉あき主演四月の永い夢1作だけ。


これが静かであたたかくて、よかった。


朝倉あき演じるひとりの女性が日常をふつうに暮らしているように自然で、映像も朝倉あきも、美しかった。



地方から都会に出た20歳の澪(松本穂香)は、スーパーに務めるが、仕事の効率重視のテンポにも、働くひとたちの冷たさにもなじめない。スーパーの仕事はすぐやめてしまう。


仕事が見つかるまでのあいだ、ということで父の知り合いの銭湯のひと部屋に住まわせてもらうが、なかなか仕事がみつからないので、自主的に銭湯の仕事を手伝う。


下町に住む近所のひとびとが夕方になると集まってきて、銭湯は活気づく。終業になると、洗い場の掃除がはじまる。澪はていねいにモップを使って、洗い場や湯船を掃除する。


澪(みお)は無口で人付き合いが苦手だけれど、少しずつ近所に知り合いや友だちができてくる。下町の片隅に澪がやっと見つけた居場所だ。


そんななか、下町の再開発がはじまる。澪の働く銭湯も、よくいくラーメン屋さんも、知り合いのいる映画館も、再開発のために閉店に追い込まれる。


でも、最後の最後まで、澪はいつものように番台で近所のひとを出迎え、終わるとモップでていねいに掃除をし、最後は湯船につかって疲れた心身をやすらがせる。


中川龍太郎監督の『わたしは光をにぎっている』は、ことさらな事件もなく、自然にそこにある町に生きるひとびとを描く作品。


無口で無表情な澪がだんだんこころをひらき、下町のなかに自分の居場所をみつけ、溶けこんでいく。演技らしい演技のない寡黙な松本穂香が、見ているうちに愛おしくなってくる。


映画の公式サイト松本穂香のことばが掲載されている。

様々な役を頂く中、澪を演じるにあたっては、あえて「作りこまない」意識をしていました。それはきっと、私自身が彼女の考え方や在り方に共感できる部分があったからだと思います。


撮影を終え、作品を初めて観た時には、思わず涙が溢れてきたのですが、自分が出ている作品なのに、こんな風に泣いたのは初めてのことでした。


この映画は大きな事件が起こる映画ではありません。だけど、押しつけがましくなく、やさしくそこにいてくれる、そんな映画だと思います。



帰り、少し紀伊國屋書店で音楽雑誌を立ち読みし、それから立飲み「春田屋」へいってみる。


ホッピーを飲みながら、電子書籍で、前田英樹小津安二郎の喜び』を読む。現存する小津安二郎の映画を無声映画時代からすべて読み解いていこうとするような本か。まだ読みはじめたばかりで、じっさいはわからないけれど。