川越から東武東上線で池袋へ出て、池袋から山手線で新宿へ。
新宿ピカデリー、11時30分からの大森立嗣(おおもり・たつし)監督『まほろ駅前狂騒曲』を見にいく。
少し早く着いたので紀伊國屋書店へ寄る。新刊書や音楽コーナー、旅行ガイドなどを眺めていたら、あるコーナーの雑誌で、「つげ義春」という表紙の文字が目に飛び込んできた。
なんだろう?・・・・・と手にとってみると、なんとつげ義春の最近のインタビューが掲載されているではないか。しかも、聞き手は川本三郎氏。
ガツガツしながら読みはじめる。
まずは、つげさん、お元気なんだ。新作はごぶさたでも、つげ義春さんがお元気だと確認できただけで、よろこばしい。最初だけ拾い読みしてから、いまあわてて読まず、映画のあとでどこかお酒を飲みながら、ゆっくり読もうと、雑誌を買う。
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新宿ピカデリーは、なかが広い。広いというより、高い。てっぺんは、11階まである。
きょう見る『まほろ駅前狂騒曲』は、その最上階の11階。エレベーターが混雑していて、なかなか来ない。しかたなくエスカレーターで11階まで上がる。早めに来たからよかったけど、時間ギリギリではまにわない映画館だ。
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映画やテレビですでに映像化されている作品なので、人物は知人のようでもある。多田(瑛太)と行天(松田龍平)の演技も、おなじみのもので、おどろきはないけど、安心できる。
今回バスのハイジャックが起こる。そして行天が、拳銃で撃たれて負傷する。淡々とした内容ではない。予告編で知っていたが、ショックではある。
便利屋さんの日常の小さな事件が積み重なっていく、というのが好きなわたしには、今回はちょっと重い。無料で見られるテレビドラマ化のあとの映画化となると、どうしても事件を大きく派手にしなければならない、そういう営業的な都合があるのかもしれないが。
そういう派手な事件とは関係なく、あまり儲かりそうもない便利屋の仕事。むさくるしい多田と行天のかっこうや生活ぶりには、親しみがわく。
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以前、いちど便利屋さんに仕事を依頼したことがある。いまのアパートに越したとき、妻がベットを頼んできた。組み立てが簡単だから、ということだったけど、届いたベッド一式を、粗雑なマニュアルを見ても組み立てられそうもなかった。
「何が簡単だよ」とわたしはだんだん不機嫌になる。
「じゃあ、便利屋さんを頼んでみようか」と妻。
ネットで検索して、すぐに来てくれる便利屋さんに仕事を依頼した。
便利屋さんはまもなくやってきて、わたしと妻がお手上げだったベットの組み立てを、1時間ほどで完成してくれた。時間制で、1時間6000円だったかな? 最短時間内で作業はおわった。それが仕事とはいえ、手先が極端に不器用なわたしには、とうていできない仕事だとおもった。
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映画がおわって、新宿ピカデリー近くの居酒屋へ寄り、二色まぐろ丼とポテトサラダとストレートのハイボールを頼む。
ハイボールを飲みながら、雑誌「東京人」の「特集 ガロとCOMの時代 1964-1971」のなかのつげ義春インタビューを読む。
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つげ義春(以下、つげ) 現在は息子が精神を病んで苦しんでいるので、その世話と買い物や食事作りで一日が過ぎてしまいます。一日二食の習慣なんですが、そのメニューを考えるのが大変で、冷蔵庫に残っているものを無駄にしないようにメモをしたりして。自分一人なら外食で済ませられるけど、二人で外食はしたことないですね。
こんなことを淡々と川本三郎氏に語っていく。つげさんの後期に描かれた作品には、乞食の話が出てくるが、乞食への関心は、それからもずっと続いているようです。
つげ (略)乞食は社会との関係が切れていますから、関係に規定されている「自己」から解放され、自己意識も消えて、現実から乖離してしまい、やはりこの世に「いながらいない」ような状態になるのではないかと思って・・・・・・。実は、数年前近所に乞食がいて、知り合いになったんです。
川本三郎(以下、川本) それはどういう経緯で。
つげ 一番賑やかな商店街に立っているのを見つけて、最初は彼の生活術を何気なく観察していたんですが、次第にその人に関心を持ってしまったんです。(略)
私よりも一歳上の東京の人で、事情はあまりしゃべりませんでしたが、普通に話しているときはハキハキしているんですが、だいたいはボーっとしているんです。放心してしまうと、視線が空のほうを向いてしまう。おじさん、と言うと目が覚めたように反応する。
川本 その後はどうなりましたか。
つげ いつのまにか、いなくなりました。二〇〇八年、府中界隈の浮浪者が連続して撲殺される事件があったのですが*1、ひょっとしてその被害者の一人かも、と思っています。あくまでも私の想像ですけれど。
昔から、この現実の世界から縁を切りたいという思いが持続してあって、修道院にも憧れました。それがだめなら、乞食になりたいとも思っていました。
川本 今で言うホームレスですね。
つげ そうですね。ただ、何人かで固まっているのはだめ。独りになって、だんだんと自己意識が消えていくと何の煩いもなくなり、それは天国ですよ。イエス・キリストが、「貧しい人は幸いである、神の国はあなたがたのものである」と言っていますが、貧しい人とは「乞食」を指すそうで、まさにそのとおりだと思います。
(略)
川本 今、ものすごく仕事をしたくなるとか、漫画を描きたくなることはありますか?
つげ そういう気持ちにはならないですね。今は息子との生活で手一杯ですが、ずいぶん以前から漫画家として生きる意識がないんです。どちらかというとマイナーな漫画家でしたから、漫画一本では生活維持できないと思っていました。ですから、古物商の免許を取ったのも、いざとなれば古本屋や古道具屋になればいいと思ったからです。昔からそういうことばかり考えていました。
(略)
やっぱり自分は怠け者ですね。若い頃から一貫しているんですが、本が売れてお金が少しでも入ったら、すぐに旅行に行ってしまう。
何気なくすごいことを、なんの力みもなく、つげ義春は川本三郎氏に語っていく。長いあいだ読んできたつげ義春の作品とご本人がダブってくる。
奥さんを先に亡くしたつげ義春と川本三郎は、最後にこんな話をして、インタビューを終えている。
つげ (略)息子がわけわからなくなって衝突したときは、買い物で家を出たあと、帰りたくなくなるんです。そうすると喫茶店に一人で行きますが、ものすごく孤独になるんです。意識的に隠遁する孤独とは別で、日常における一人暮らしは生きられない。川本さんはお一人ですごいですね。
川本 子どもがいないので、寂しいときもあります。家に一人でいたくないので、近年、前以上に旅が増えました。旅先の食堂などで一人、ビールを飲むのがささやかな楽しみです。お互い男やもめですが、なんとかやっていきましょう。
つげ そうですね。自分にはまだ息子がいるからいいですよね。本当の一人というのはつらい。たまらないですよね。
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つげ義春インタビューを読み終えて、お店を出る。新宿駅へ向かっていると、息子(34歳)から携帯に電話がはいった。
「15日と16日に地元でお祭りがあるけど、どっちか来ない?」というので、「その日は予定があっていけないな。そっちから近々来ないか」と誘うと、息子は「考えてみる」という。
「いま新宿。紀伊國屋で最新のつげ義春のインタビューを見つけたので読んでたところ。つげさん、とりあえず元気そうだ。髪の毛は白いだけど、笑っている写真の顔がいい」
「そうか、それはよかったね」と息子はいって、「じゃあ、また連絡するから」で、電話が切れた。