かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

澤地久枝著『男ありて 志村喬の世界』(文芸春秋)を読む。


年末・年始にかけて、二つの伝記本を読んだ。松田美智子著『サムライ 評伝 三船敏郎』と、澤地久枝著『男ありて 志村喬の世界』。どちらも知らないことばかりで、おもしろかった。


で、今回は澤地久枝著『男ありて 志村喬の世界』について。


男ありて―志村喬の世界

男ありて―志村喬の世界


黒澤映画のファンだから、志村喬の映画はむかしから見ているのに、このひとがどのような役者人生を歩んきたのか知らなかった。きっかけになったのは、京橋のフィルム・センターで「生誕110年 映画俳優 志村喬」を見たことから。展示されているゆかりの品や映像、その紹介文を見ているうちに、もっとこの俳優のことを知りたくなった。展示物のなかに、澤地久枝さんの『男ありて 志村喬の世界』もあったので、書名をメモして帰る。アマゾンで検索。新本はなかったが、中古本で入手。


わたしのなかで志村喬の印象が強いのは、やっぱり黒澤明作品。『七人の侍』の勘兵衛や『生きる』の渡辺勘治は強烈だった。わたしの志村喬の印象は、これに尽きてしまう、といってもいい。


山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズでの、さくらの夫・博の父役も印象に残っている。『男はつらいよ」シリーズには、同じ役柄で3作に出演しているが、頑固な学者役は、志村喬の人格が滲みでているような気がした。


澤地久枝さんの文章は、誠実に映画俳優ひとすぎに生きてきたひとりの男の生き方を浮かびあがらせる。戦前・戦中の出演作、黒澤明監督との出会い、戦後の出演作の数々、さらには月形龍之介三船敏郎との友情エピソードもおもしろい。


政子夫人との45年の結婚生活にも心惹かれる。映画界にありながら、女性とのスキャンダルがないのも、志村喬の人柄を感じさせる。


尾崎一雄著『暢気眼鏡』の主人公を彷彿させるような天然の楽天的なお嬢さんで、志村喬に嫁いでくる政子夫人も、この伝記のヒロインとして魅力的。貧乏暮しも苦にしない政子夫人に志村喬がどれだけ心を癒されたか、とおもいながら読む。


伝記を読むと、志村喬は、戦前から数多くの映画に出演しているので、わたしは、志村喬の魅力のほんの一部分しか知らないことも、あらためて思い至る。


澤地久枝さんは、長い役者人生だけれど、ほんとうに志村喬の魅力を生かした映画はつくられなかったのではないか、と疑問を投げる。『七人の侍』、『生きる』は、役者としての志村喬のピークだけれど、このあと、まだまだ志村喬の役者人生は長い。それなのに、その後もっと志村喬の新しい魅力を引き出す映画がなかったのは残念だ、という。


ちなみに澤地久枝さんは、志村喬がいちばん魅力的な黒澤明作品として『醜聞(スキャンダル)』をあげる。コミカルな小悪党弁護士役を演じた志村喬の魅力が、その後の作品で開花していかなかったことを惜しんでいる。