5月25日、金曜日。暑いくらいの好天。
明日いく予定だったが、娘ファミリーとバーベキューをやることになったので、1日早く「志賀直哉展」を見にいく。
駒場は3月12日、民芸館の「宗方志功と柳宗悦」を見にきたので、駅からの道は記憶に新しい。公園をぬけて、「近代文学館」へたどりつく。
受付のところに、志賀直哉の写真がはいったハガキが2枚あったので買おうとしたら、1枚は会場でもらえる、というのでそれ以外の1枚を買う。
志賀直哉の「ナイルの水の一滴」は、こんなエッセイ。短いので全文を引用しておこう。
人間というものが出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数え切れない人間が生まれ、生き、死んでいった。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、例えていえば、悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも先にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。
「(わたしは)ナイルの水の一滴に過ぎない」といいながら、「それで差し支えないのだ」と、力強くいいはなつ。
短い文章のなかに、志賀直哉の死生観がこめられている。人類の歴史を俯瞰しながらも、一方に、小さな自己を対峙させて、悲観や諦念に陥ることがない。小さな自己が、人類の歴史と同等に向かいあっているようだ。
この潔い精神が、簡潔な文章で濃密な文学を完成させた志賀直哉の骨格なんだろう、とおもいながら、展示物を見ていく。
1937(昭和12)年、志賀直哉54歳。(木村伊兵衛、撮影)
夏目漱石、武者小路実篤、柳宗悦、芥川龍之介、小林多喜二、谷崎潤一郎、網野菊、瀧井孝作、安田靫彦(やすだ・ゆきひこ)・・・志賀直哉を敬愛し、その作品群を賞賛した作家・画家は数しれない。戦場で、『暗夜行路』を読んで感動、戦後に交流がはじまる映画監督・小津安二郎のようなひともいて、志賀文学の裾野の広さを、改めておもう。
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1時間ほどの贅沢な時間が過ぎていく。帰ったら、あれも読みたい、これも読み返したい、そんな刺激を受けながら、駒場東大前駅へもどる。