かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

佐藤泰志原作『きみの鳥はうたえる』を読んでおもう、いろいろなこと。

きみの鳥はうたえる (河出文庫)

きみの鳥はうたえる (河出文庫)



映画『きみの鳥はうたえる』を見て、このタイトルはビートルズの「And Your Bird Can Sing」からきているのではないか、という疑問が生じた。で、そのあとで原作を読んでみたら、こちらにはズバリ、文中にビートルズの名前が出てきて、こんな文章がつづく。

しかし僕は、静雄と暮しはじめてからも、しばらくのあいだ、あいつのことは何も知らなかった。知りたいとも思っていなかった。ビートルズのレコードが七、八枚、それで充分だった。そうじゃないか? 引っ越してきた日、静雄はレコードを僕に見せ、財産はこれだけだ、といいアンプもプレーヤーも部屋にないのを知って、くやしそうに舌を鳴らしたものだった。僕らはあのとき焼酎で乾杯した。あいつはプレーヤーがありませんので僕が唄います、とふざけて、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」を僕のために唄ってくれた。


これで『きみの鳥はうたえる』のタイトルの由来は片づいた。こだわるのはビートルズ・ファンだけだろうってわかっているけど、「一件落着」というわけで(笑)。



佐藤泰志氏の文体はハードボイルドなんだな、ってあらためておもった。ヘミングウェイのようだ。心理描写をまじえずに、簡潔に人物の行動を追う文章であり、おもに会話で話がすすんでいく。いったいこの登場人物は何を考えているのか、それは行動と会話から読者が想像するしかない。


むかしヘミングウェイの「殺し屋(The Killers)」を読んだとき、その文体にしびれた。



食堂へふたり組の殺し屋がやってくる。ボクサーのアンダーソンの名前をいって、会いたいという。店の主人・ジョージが、「アンダーソンがくるのは6時頃だ」というと、じゃあそれまで待たしてもらう、という。


ふたり組は、時間潰しに、店の主人のジョージをからかう。酒はないか(ここは酒を置いてない)とか、兄ちゃんは映画は好きかとか、兄ちゃんは聡明だなとか、いろいろ脈略のない質問を投げて、アンダーソンを待つ。


従業員の少年・ニック・アダムスが裏から逃げ出して、アンダーソンのアパートへ、殺し屋が店にきているよ、と告げにいくが、アンダーソンは、ベッドに横になったまま「もうどうしようもないんだ」と答えて、逃げる気配もみえない。


午後6時が過ぎると、ふたり組の殺し屋は、「また来る」といって、店を出て行く。



それだけの短編小説で、ボクサーのアンダーソンが何を起こしたのか、殺し屋の動機がなんであるのか、全然説明がない。ただ、殺しにきたふたり組の男と、逃げることを断念したアンダーソンのことが緊迫した映像を見るように描かれている。わたしは一時期、このスタイルに惹かれて、しばらくヘミングウェイを読み漁ったことがある。


この文体は、一般には、探偵が活躍するハードボイルド作家に影響をあたえたが、日本では、純文学にも、ヘミングウェイの匂いを感じさせる、丸山健二のような作家もいる。あと安岡章太郎は、『志賀直哉論』のなかで、ヘミングウェイ志賀直哉の類似性について自説を展開していた、のも記憶している。


そんな、なかなか由緒ある文体を、佐藤泰志のなかにみつけてよろこんだ。きっとわたしが知らなかっただけで、一般に周知のことなんだろうけど(笑)。


話はそれっぱなしだけれど、この原作は60年代後半から70年代前半の、出口の見えない青年たちを描いているようだ(映画はそれを現代に移しかえている)。60年代後半から70年代前半といえば、わたしたちの世代がグダグタ彷徨していたあの頃に重なる。懐かしいけど、けっして戻りたくない時代・・・。そうか、佐藤泰志はわたしたちと同世代であり、あの時代をどこかで生きていたのだな、とちょっと感慨をおぼえる。


原作の青年たちはもちろん携帯をもっていないが、映画の青年たちは携帯で連絡しあっている。あと原作の背景は東京もしくはその近辺の都市のようであるが、映画は佐藤泰志の出身地、函館を舞台にしている。


だからどうなのか? というわけではなく、映画は映画で、原作は原作で、それぞれに興味深かった。自分のなかで、原作と映画を整理してみただけですが・・・お付き合いしてくださった方には、なんだかもうしわけありません。