3月23日、土曜日。
「イオンシネマ板橋」へ、片山慎三監督『岬の兄妹』を見にいく。予備知識がないまま、一種の賭けで、映画を見にいくことがある。ハズれる場合も、当たる場合もある。これは大当たりの映画だった。
映画『岬の兄妹』特報予告【2019年3月1日(金)全国公開】
ポン・ジュノ監督作品や山下敦弘監督作品などで助監督を務めた片山慎三の初長編監督作。
(「映画.com」より)
https://eiga.com/movie/90085/
みなさんは、映画に何を求めて映画館まで足を運ぶのだろう?
ハッピーエンドのよろこび、ロマンティックな気分、未知の映像体験、感動の涙や笑い・・・もっとほかにもあるかもしれない。
映画を見にいくみなさんの期待はなんだろうって、時々おもう。
『岬の兄妹』は、うえのどれにも分類しにくい。しいていえば「感動の涙や笑い」かもしれないが、センチメンタルに涙を押しつける要素はまったくない。意図して笑いをしかけた要素も感じられない。
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足の悪い兄と知的障害をもった妹のふたり暮らし。生活は楽ではないが、兄がつとめていた造船所をリストラされたことでいよいよ行き詰まる。
兄は、いくらにもならない内職をはじめるが、とても生活の支えにはならない。部屋の電気も止められた兄妹は、どん底のなか、妹の売春で生計をたてはじめる。
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足の悪い兄と知的障害をかかえた妹、という設定だと、観客から憐憫や同情を引き出そうとしがちだ。
でも、それは、わたしがいちばんおよび腰で敬遠してしまう種類の映画。しかし、この映画にそういう感傷はなかった。
冷静に、冷徹に、職を失い食べる手段を失った兄妹の生活をみつめていく。
あまりにも惨めでは、とおもいながら見ていくが、兄の苦しみや悩みをよそに、自分のおもうまま怒ったり笑ったりする妹の「明るさ」を、憐れとみるか、天真爛漫とみるか。
彼女は、売春を「お仕事」と受けとめ、そこに「悦び」をみつけたりもする。
どこまでも、彼女は人間として自然なのだ。
兄として「なんとかしなければならない」ともがきながら、妹に暮らしを頼らなけばならない彼は、自分の無能さに苦しみながら、妹の女性としての新しい「悦び」にとまどう。
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最初から最後まで目を離せない。シビアにどん底の暮らしが描かれるけれど、ジメジメした暗さはなくて、底の底まで落ちてしまうと、自分で自分を笑ってしまうような、突き抜けたおかしさがうまれる。
そこまで片山慎三監督は、深く主題を追い詰めていく。
兄を演じた松浦裕也、妹を演じた和田光砂(わだ・みさ)の演技が絶品。すごみを感じる。
この作品を、来年の各映画賞がどう扱うかがたのしみだ。逆に各映画賞の姿勢が試されるのではないか、とおもう。