6月15日(水)、雨。
渋谷の「ユーロスペース」へ、ヤンヨンヒ監督の『スープとイデオロギー』を見にいく。
朝から雨模様。昨日予約をとってしまったので「雨ニモ負ケズ」出かける。
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12時30分から上映。
ひとりの女性の生き様をとおして
国家の残酷さと運命に抗う愛の力を唯一無二の筆致で描き出す。
年老いた母が、娘のヨンヒにはじめて打ち明けた壮絶な体験 —-
1948年、当時18歳の母は韓国現代史最大のタブーといわれる「済州4・3事件」の渦中にいた。
朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の兄たちを北朝鮮へ送った。
父が他界したあとも、“地上の楽園”にいるはずの息子たちに借金をしてまで仕送りを続ける母を、ヨンヒは心の中で責めてきた。
心の奥底にしまっていた記憶を語った母は、アルツハイマー病を患う。消えゆく記憶を掬いとろうと、ヨンヒは母を済州島に連れていくことを決意する。それは、本当の母を知る旅のはじまりだった。
(公式サイトより=読みやすいように、改行をいれています)
https://soupandideology.jp/#intro
ヤンヨンヒ監督の映画は、『かぞくのくに』(2012年)を見たことがある。これはフィクション。
当時「地上の楽園」といわれた北朝鮮へ渡った兄(井浦新)が、日本で治療を受けるため、一時帰国する。
家族やむかしの恋人にあって懐かしい数日を過ごしていたが、突然の帰国命令が下って、兄は治療も受けず、北朝鮮へ戻っていく。
妹(安藤サクラ)の目に、むかしは陽気だった兄が、すっかり無口な人間に変わっていた。
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今回、ヤンヨンヒ監督のインタビューを見て(ネット番組「デモクラシータイムス」=聞き手は佐高信氏)、映画『かぞくのくに』がほぼ事実をもとにしていることを知った。
映画に出てくる兄(井浦新)は、北朝鮮に渡った兄3人のうちの次男を描いていた。そして、妹役の安藤サクラが、ヤンヨンヒ監督自身の役だった。
ヤンヨンヒ監督。
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映画『スープとイデオロギー』は、アボジ(父)が生きていたころからはじまる。映像のなかのアボジは、おおらかな感じだ。
アボジが亡くなり、オモニ(母)は大阪でひとり暮らしになる。
娘のヤンヨンヒは、東京から、オモニに会いに、ときどきやってくる。オモニが負担になっているようにもみえる。
そんななか、ヤンヨンヒは婚約者・カオルをオモニに紹介する。10歳も年下の日本人男性だ。
「娘の結婚相手は、日本人とアメリカ人以外・・・」と、アボジ(父)は頑固にいっていたが、オモニ(母)は、得意のスープをつくってカオル(ヤンヨンヒの婚約者)を歓迎する。
カオルがやってくると、オモニの顔に笑顔がひろがる。
ヤンヨンヒのパートナー・カオルは、その後家族の力になって、オモニとヤンヨンヒの人生を支えていく。
長い期間、ヤンヨンヒ監督は、カメラを回し続けている。
はじめ、ヤンヨンヒ監督は、家族の記録として、オモニを撮り続けたのかもしれない。
が、おもいがけなく、オモニ(母)は、それまで語らなかった韓国で起こった「済州4・3事件」の壮絶な体験を語りはじめる。
18歳のオモニ(母)は、虐殺のなかを生き延びて、日本へやってきたのだ。オモニが韓国を嫌い、北朝鮮へ3人の兄(母にとっては、息子)を渡らせたことの真意をヤンヨンヒ監督は知る。
済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)
1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起に伴い、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。
南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察及びその支援を受けた反共団体による大弾圧をおこない、少なくとも約1万4200人、武装蜂起と関係のない市民も多く巻き込まれ、2万5千人から3万人超、定義を広くとれば8万人が虐殺されたともいわれる。
また、済州島の村々の70%(山の麓の村々に限れば95%とも)が焼き尽くされたという。その後も恐怖から島民の脱出が続き、一時、島の人口は数分の一に激減したともいわれる。
(「ウイキペディア」=「済州島四・三事件」より)
いい作品だった。時間をおいて、もう一度みようとおもった。7月に「川越スカラ座」で上映される。
ヤンヨンヒ監督の舞台挨拶もあるので、できればその日がいいが、「川越スカラ座」はまだネットの予約ができないので、その日は混んでしかたがないかもしれない。
登場人物のひとりひとりの気持ちまでしっかり伝わってくる作品で、感動するシーンが多かった。
「公式サイト」に、是枝裕和監督がこんなコメントを寄せている。
「私たち」のすぐ隣に住み、「私たち」とは違うものを信じて生きている「あの人たち」。彼らがなぜそのように生きているのか、なぜ「私たち」には理解できないものを信じようとしたのか。
監督でもある娘が撮影を通して母を理解していくように、この作品を観終わるとほんの少し「あの人たち」と「私たち」の間に引かれた線は、細く、薄くなる。