左から、ジョン・ウォーカー、スコット・ウォーカー、ゲーリー・ウォーカー。
最近、わたしの関心のあるミュージシャンがふたり亡くなった。ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカーと、元テンプターズの萩原健一さん。
萩原健一さんは、埼玉県のひと。わたしも、埼玉県なので、かっこいいバンドが大宮にいる、という評判を早くから聞いていた。デビュー前から、テンプターズのライヴを見ている。
しかし、今回アップするのは、彼ではなくスコット・ウォーカーのこと。萩原健一さんのことは、また別の機会に。
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いまスコット・ウォーカー(本名;スコット・エンゲル)のことを知っているひとはどれだけいるのだろう。
彼は、ジョン・ウォーカー、ゲイリー・ウォーカーとともに「ウォーカー・ブラザーズ」を組み、英国やアメリカ以上に、日本で爆発的な人気グループとなった。
1967年に、ウォーカー・ブラザーズが来日すると、たいへんな騒ぎになる。前年のビートルズ来日をおもわせるような大騒動だった(ビートルズ来日のような、日本を分断するような社会的事件ではなかったけれど)。
人気の中心は、メイン・ヴォーカルをつとめるスコット・ウォーカーの美貌。女性がうっとりするような美しい表情で、しかしそれににあわない意外な低音で、ロックやバラードを歌う。
彼は、詰襟の学生服のようなファッションで、女の子をしびれさせた(笑)。
日本武道館でライヴ(わたしは見てない)。日本武道館でコンサートをおこなうのは、ビートルズに次いで2組目。
いちじきは、ビートルズと比較されるほどの人気になり、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」では、ポール・マッカートニー対スコット・ウォーカーという特集が組まれ、読者の投票でふたりのうちどっちが人気があるかを決めようという企画をおこなった。
たしか、ポール・マッカートニーが勝ったのではないか、と記憶している(ホッとした、笑)。
しかし、それほどすごい人気で、わたしは、
「孤独の太陽」、「太陽はもう輝かない」、「ダンス天国」。
の3枚、シングル・レコードを買っている。
しかし、それからまもなくウォーカー・ブラザーズは解散してしまい、スコット・ウォーカーはソロとして活動していったとおもう。
というのは、わたしはこのグループに長く関心を持ち続けていなかった。
1967年の音楽界は、ビートルズが『サージェント・ペパーズ』を発表し、大型新人のクリームが、ジミヘンが新旋風を起こし、大きく変わろうとしていた。私の関心は、もっぱらそっちにあった。
ソロになってからも、スコット・ウォーカーのシングル・レコードは1枚か2枚は買ったとおもう。
でも、本質的に、このひとの音楽はロックではなかった、とおもっている。どちらかといえば、フランク・シナトラとかの流れにあるような気がする。
そういう、いちじ的な関係だったけど、スコット・ウォーカーという名前や彼の音楽は懐かしい。いまは、たまに、ほんとうにたまにだったけど、ベスト盤などで聴くことがある。
デヴィッド・ボウイがデビューしたとき、音楽というよりは、声がスコット・ウォーカーににているな、とおもった。
2019年3月22日、死去。死因は発表されていない。76歳だった。
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Walker Brothers - The sun ain't gonna shine anymore 1965
ウォーカー・ブラザーズ「太陽はもう輝かない」。