かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

朝倉かすみ著『平場の月』を読む。

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8月にはいってから暑い日が続いている。映画館へいくのも、たいぎ。クーラーを効かせて、家のなかに閉じこもる日が多くなる。


怠惰でからだを動かさず、お酒を飲みながらの怠け読書。朝倉かすみの『平場の月』を電子書籍で読み終えた。


電子書籍の「本の情報」では、こう紹介されている。

朝霞、新座、志木――。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。


50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる――。心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。


青砥は50歳。病院に胃の検査でやってきたとき、そこの売店で働く須藤と再会する。青砥の中学の同級生で、およそ35年ぶり。中学時代に「コクって振られた」女子だった。


ゆるいふたりの交際がはじまる。青砥は、50歳になった須藤も悪くない、とおもう。お互いに結婚をし、離婚も経験した。


ときどき仕事がおわって居酒屋で飲んだり、須藤の手料理で、発泡酒を飲んだりする。ムリしないところがいい。彼らは、居酒屋でも、そうたびたび外で飲むほど裕福ではない。ふたりが部屋で飲むのは、ビールではなく、発泡酒。そういうこまかな生活感に、この小説のよさを感じる。


青砥は、老人施設にアルツハイマーの母がいる。


「あなたは誰ですか?」
「青砥健将(あおと・けんしょう)です」
「そのひとは死にました」


週一で、母を訪ねると、きまってこんな会話が交わされる。


昔の同級生同士は、いまもお互いを「青砥」、「須藤」と姓を呼びすてにする。渇いた関係のように見えるけれど、やっかいな病気を背負いこんだ須藤に、青砥は純粋に心を捧げていく。


「本の情報」にあるように、大人の恋愛小説。しかし、例えば、渡辺淳一の「おとなの恋愛小説」のように華麗なものはない。豪華なレストランで食事をすることもない。



むかし好きだった女性との再会。甘酸っぱい過去がよみがえる。しかし、目の前にいる女性は中学生ではなく、50年の人生を経験してきた女性。


おとなの須藤には、かしこさとたくましさが備わって、そこに青砥は惹かれていく。


朝倉かすみの文章は、説明が少ない。描写と会話で話をすすめていく。最初、短いページのあいだに場面が飛ぶので、物語の現在地がつかみにくかった。あとから最初の部分を読み返してなっとく。


ふたりの話すなにげない会話が、好き。おとなの会話だが、ムリをしているわけではない。


「須藤」、「青砥」と呼びあうのは、中学生のころと同じでありながら、もちろん同じではない。ふたりには35年の人生が増加されている。


わたしは、青砥や須藤よりも高齢になった。ふたりが若くみえる年齢になってしまった(笑)。